断食が明けた先週は水曜から週末までSIKU KUU(祝日)でした。
ようやく一ヶ月間の断食が終了。
ほんとに昼間食べていいのかなというちょっとした不安感を拭いきれないまま街に出てみました。
飲みかけのペットボトル片手に歩く人を見ると、ようやく本当に断食が終わったんだという実感が湧いてきます。
少しずつ暑さを取り戻している太陽が街に落とす光と影の模様はいつもと同じなのに、不思議と街全体、島全体がウキウキしたムードをまとってます。
行き交う人たちは大人から子供までみんな精一杯おめかししてて、表情も含め体いっぱいで嬉しさを表現しているように見えます。
いわば年に一度の晴れの場といった感じ。
単純に人が多いってのもあるけど、見慣れた街がいつも以上に活気に満ちているというか浮き足立った雰囲気に包まれているというか
どこに行くでもなし、せっかくおめかししたからと一家で街を歩いているような人たち、きれいな洋服と化粧が嬉しくてそこらをキャーキャー走り回っている子供たち。
その様子があまりにも微笑ましくて、
こっちも楽しい気分になれます。
Barakat laidi. 祝日ごきげんいかが?
Laidina. バッチリさ!
この4日間しか使えない挨拶を交わせば、それだけでおめでたい雰囲気の一部になることができます。
盛大な夜のお祭り
いつもは人気のない病院の目の前の広場が、この期間だけお祭り会場になります。
にぎやかなことが大好きなタンザニア人だけあって、近所迷惑という概念の欠片も感じられない音量。
入院してる人たちにも届けとばかりに大音響量で鳴り響きます。
おもちゃ屋、輪投げ、食べ物の夜店がずらりと立ち並び、雰囲気はまるで日本のお祭りそのもの。
縁日にフラフラと賑わった通りを通るような感覚で、そこがアフリカであるなんて全く感じさせない不思議な空間です。
正直、予想以上の祭りです。ナメてました。
特設のディスコホールではおもいおもいがダンスに夢中になっています。
普段は酒を飲まないイスラム教徒でもこの期間は飲みたくなるようでビールとか飲んでました。本当はダメなんですが。
久々の酒で昼真っから酔っ払ってる者、夕方には道で眠ってる者、ダラダラの中で今にも吐きそうな者
普段の生活では絶対にありえないけど、この日ばかりはそんな光景が目の前に広がっています。
歩きながらビール飲むなんて、ザンジバルに来てから一回もなかった、
というかタンザニア人の前で前で堂々と酒を飲むということさえほとんどなかったから、新鮮でした。
なにもかもが日常とかけ離れていて、どうりで断食のずっと前から祭りのことを楽しげに語っていたわけです。
断食中と比べて、どの顔にもイキイキした表情が浮かびます。
いつもの日常との共通点といえば、あいかわらず満点の星空くらいでしょう。
29回目の最後のアザームが鳴り終わった9月30日
病院の病棟からおばちゃんたちがなにやら興奮気味に夕暮れ時の空を見上げています。
同じようによく目を凝らせば、太陽の沈んでしまった空に浮かぶのはかぎりなく新月に近い小さな小さな三日月。
断食明けは月の見え方で決まります。
爪切りから転がり出た爪のかけらのようなこのちっぽけな月こそ、まさに今年の断食のおしまいを意味する天からの合図
「やっとこの日が来た」 病棟だけでなく島中が待ちわびていた瞬間。
「あなたには月が見える?」と嬉しそうに話すおばちゃん達の嬉々とした表情が忘れられません。
生活の一部としてごく自然に断食を始め
それが明けると盛大なお祝いをしていつもの生活に戻ってゆく
ああだこうだその理由を求めず、とにかく神が決めたことだからそうなんだ、おれたちはそれに従うまでだ、という彼らの意思を感じます。
ただそこにあるのは、自己のみを追求しない姿勢。そして神の望むことを素直に受け入れる真摯な姿勢。
そういうものを信仰と呼ぶのでしょうか。
正月や盆、クリスマスを一年の恒例行事としてごちゃまぜにしてしまう日本人。
「宗教は何だ?」
聞かれるたびに当たり前のように「仏教だ」と答えていた自分だけに、我ながら宗教に対していかに無関心・無知だったか、信仰というものをないがしろにしていたかということを考えさせられる機会になりました。
それに気付けただけでも意味のある断食体験だったといえそうです。