2008年11月26日

悩む。

僕は今3代目のPTボランティアとして活動(半ば全ての業務を押し付けられた形で)していますが、
100万人が暮らすこの島には、もともとPTはハッサンただ1人しかいません。

建物が一新されハード面は改善しましたが、そうすると今度は、じゃあ誰が働くの?という問題がよけい浮き彫りになってきます。
当初から感じていた人手不足は、今でも職場が抱える一番の課題なのです。

理学療法士が増えれば、
 ・待ち時間の短縮
 ・より多くの患者診療
 ・1人にかける診療時間の改善
 ・入院患者への積極的なリハ
 ・訪問リハへのPTの参加
 ・現地PTへの技術移転
いろんな可能性が広がります。
逆を言えば、今の状態ではどれもこれも実現不可能なことばかりなのです。

そもそもムナジモジャ病院にスタッフが集まらないのには理由があって、それは単純に労働条件(特に待遇面)が悪いためです。
本土とは別のザンジバル政府が予算管理をしているのですが、医療分野に限らずもともとの予算が極端に少ない。
加えて病院の経営方針もズサン。
医療費自体は貧困層でも病院に来れるよう低く設定されています。
それはいいんですが、その設定がなんとも適当すぎ。

レントゲン一枚撮るの2000シル。
対して、PTがいくら時間をかけてリハをしても250シル(約20円)ぽっきり…

スタッフの働く意欲もなくなります。
(ちなみに、行き帰りのダラダラ運賃は最低600シル。250シルではソーダ1本買えない)

そして、薬代やベッド代にいたってはタダ
必要でもないのに「クスリはくれないのか」とせがまれるのはそのためです。
このボロ病院のどこにそんな余裕があるのかと、経営陣にはほとほと呆れるしかありません。

間違った診療代設定でスタッフへの待遇が悪化し、結果として医療の質が落ちていることには気付かないのでしょうか。


こんな状態で新しいスタッフを雇うことなんて夢のまた夢…
でもちゃんと現地のPTを確保しないことには自分は所詮タダのマンパワーとして終わってしまう…

そこでいろいろ考えました。
新PTゲットのポイントは2つ
 @とにかく就職してもらわなければ始まらない
 A就職後もほいほいやめてもらっては困る

試行錯誤のすえひらめいたのが「奨学金」のような形を整えられないかということでした。
それは、国内に1つだけあるPT養成校の学生の中から奨学生を募り、奨学金として3年間の授業料を援助する代わりに卒業後は少なくとも何年、という形でムナジモジャ病院で働いてもらうというもの。

新年度が7月から始まるので、その前に奨学生を探してどうしてこうして、というとこまでハッサンと話してたんですが…

援助に協力してもらえるであろうプロジェクトとしてあらかじめJICAから打診してもらってた「小さなハートプロジェクト」
これは「協力隊を育てる会」が運営するプログラムで、協力隊員の要請に応じ教育環境の改善や保健衛生施設の設置、文化財や環境保全への支援などに対して、広く募金で募った資金をそれぞれの活動のために振り分けて支援するというのが趣旨です。

これに一縷の望みをかけて、にわかにいい返事を期待してたんですが…
フタを開けてみれば結局、奨学金という形での援助はしない、というなんともむげない回答。

援助を必要とする人と援助を申し出る人がそこにもしいるなら、なんでもかんでも型通りのフィルターでふるいにかけなくてもいいじゃないか、と、いかにも日本的な融通の利かなさにやりきれなさを感じます。
「小さなハート」が「心がせまい」で終わってしまわないよう、できるできないの前にせめて現場の声に耳を澄ますくらいの対応をして欲しかったのが本音です。

「小さなハートプロジェクト」も、JICAの活動支援費(機材の購入費など)も、日本大使館で行っている「草の根無償協力」も、結局は井戸作りや学校建設のようにモノとして結果が残せるプロジェクトのほうが援助しやすようで、目に見えて「形」に残らないプランは大きな壁に行く手を阻まれてしまうのが現実なのです。

確かに井戸や学校は必要です。
けど、「必要」という意味ではPTなどの医療行為が必ずしもそれら以下だとは思いません。

それは今回患者という目線でものを見て身に染みるほど感じた一つの事実でもあります。


活動開始からもうすぐ7ヶ月。
やっと見つけたと思ったプランも泡と消え、また振り出しに戻ってしまいました。

配属先が抱える問題点に真正面から直面していながら、現実的な解決策を見出せずマンパワーとしての活動で日々が過ぎ去っていくことに焦りと虚しさを覚え、自分は一体何してるんだろう−と考える機会も増えました。

当の病院スタッフ達はといえば相変わらず危機感を感じている様子もなく、結局自分がアクションを起こさなければ何も始まらないということにいいかげん嫌気もさしてきます。
今の自分はなんだか、1人宙ぶらりんでもがいているちっぽけな存在のようです。

ラベル:奨学金 焦り
posted by たいよう      at 21:41| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

足療養日記

11月の最初の日曜日。

あれはいつものようにビーチに出かけ海の中を裸足で歩いてたときのことだった。
その日の海も膝下ほどの遠浅がはるか沖合いまで続くいつもと変わらない穏やかな表情。
東海岸はウニがとにかく多い。
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青い海を黒く染める(中身はカラフル)ウニに注意しながら足を踏み出した次の瞬間!
足の裏に激痛が走った。

「イデッ!」 血が出ている。幸い出血はすぐ止まり、たぶんウニだろうとそのままにしてたが…
次第に足首から先に焼けるような痛みとしびれを感じ、
その時はじめて、なにかの毒にやられたのだと気が付いた。

が、時すでに遅し。
いつのまにか歩くのもままならないほど痛みが強くなっている。

陸に上がるなり、心配した地元の人が「クスリを持ってきてやるよ」と声を掛けてくれる。
だが彼が持ってきたのはパパイヤ。
果肉から出る白っぽいエキスが「毒を出してくれるんだ」と、ていねいに傷口に塗ってくれる。
この頃には腫れも出てきていて、それを見かけた彼の知り合いが一言。
「おい!今すぐナイフを持って来い」
 
 切開−

その二文字が強烈に脳裏をよぎる。不安で気持ちが弱くなっている。痛みで気力がなくなっている。
そんな弱気な思考回路には、その二文字しか浮かばない。
こんな所で切開?ただ怯えることしかできない。

なんのことはない、ナイフはパパイヤを切るためのものだった。

JICAの健康管理員に事情を説明すると、すぐ病院受診を、との指示。
さっそく隊員御用達の指定病院に向かう(ムナジモジャ病院ではない…)

着くころには足首から先がさらに腫れあがり少しだけ青黒くなっているのが分かる。
痛みもかなり強い。

早く痛み止めが欲しい

その訴えをよそにのんびりと働くスタッフの対応がやたらと目に付く。
誰一人あわてる風でもなく、彼らのおしゃべりが頭の中にひときわ響いてくる。
さほどでもない待ち時間もとても長く感じる。
痛みや不安と戦いながら待つというのは精神的な苦痛が大きい。

車椅子に乗せられ、この時になってようやく自分は今患者なんだと実感。
診察もそこそこに処置室で腕と尻に痛み止めと抗ヒスタミン剤の注射を受け、ようやく少し安心することができた。

 Hamna matatizo, inauma sana lakini itapoa!
 大丈夫だ、痛みは強いがきっとよくなる!

すっかり弱気になっている自分にとって医師のその一言がどんなに心強かったか計り知れない。
大げさなようだが大げさではなく本当にそう感じた。

翌日。
一日だけ休みをもらい、家でゆっくり休養。
内服薬で痛みは治まっているが、腫れがひどい。
その翌日。
オープニングセレモニーの準備もあって病院には顔を出したが、腫れはふくらはぎにまで及びはますますひどくなっている。

象の足、とでも表現したらいいだろうか。
太ももがあって膝があって、足の先までまた太ももがある。
病院のベッドでよく見かける、あの足だ。

セレモニー当日も、実は左足は象だった。
大切な晴れ舞台のさなか、左足は見事なハレ姿…
そして横には患者さんに借りた松葉杖…
いろんな意味で思い出深い一日になった。

その後、抗生剤の効果か二週間ほどかけて足の腫れは徐々に引いた。
ただ、刺されたところとは別に小さく血豆のようになっているところがあり、後日小さく切開することになった。
案内された処置室。けして清潔とはいえなかったが、文句を言っている場合ではない。
何の説明もないまま手術台に寝かされ、とにかく痛い麻酔の注射をこらえるとあっという間に処置は済んだ。
血を見なくて済むように上を見上げていた自分の目に映ったのは、クモの巣とコオロギとがへばりつき、ところどころ蛍光灯の切れた薄汚れた天井だった。

同伴してくれた健康管理員からは後日、注射は何度も刺したり抜いたりを繰り返し、処置自体もちょっと強引だった、と聞いた。
見てなくて良かったと改めて思う。

あの日以来、心配したカウンターパート、友達、患者さんなどいろんな人ががわざわざ家まで見舞いに来てくれる。
礼を言うべきはこちらなのに、彼らは「会えて嬉しかったよ」の一言を忘れずに言い残していく。
病院でもどこでも、会うたびにみな「足の具合はどうだ?」と心配してくれる。

なんて優しい人たちだろう。
助け合いのコミュニティーの中で生活してることを実感しその幸せを肌身で感じた。

タンザニアに来てからも頼ることのなかったクスリの力もいっぱい借りた。

足を刺した犯人を尋ねるとドゥチというサカナを踏みつけたんだろうと言われる。
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画・ハミス
ハリセンボンみたいな雰囲気のこのサカナ、かわいい顔して尾びれに毒針を持っている。


毎日のガーゼ交換をしながらいつも思う。
裸足でむやみに海の中を歩いてはいけない。
傷口にパパイヤを塗るのもよくない(気がする。あの後痛みとしびれがいっそう強くなっていた)
医療従事者は弱者である患者の心をも支える存在でなくてはならない。
そして、不安に襲われる心をふっと和ませてくれるのは、周りの人間のちょっとした一言であったりする。

患者という立場に立って初めてわかったこと。それは、これからの活動に大いに活かせるものだし、また活かさなくてはならないものでもある。

さいわい化膿することもなく傷口は徐々によくなっているようだ。

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ラベル:ハレ姿 ドゥチ
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2008年11月16日

Z'bar 3分クッキング!

タンザニアの主食といえば、ウガリ(とうもろこしの粉をこねて作る。味のないかるかん饅頭風)かバナナ(調理用バナナ)かチプシ(ひたすら脂っこいフライドポテト)かコメです。

タンザニア人は意外とコメをよく食べるようで、マーケットに行けば細身のパサパサしたものから日本米に近いふっくら米までいろんな種類を見かけます。

特にMBEYAという本土南部産のコメは日本米に近い味と食感で、MBEYA産を口にするたびにコメのある国に赴任できてよかった〜と心底思います。

コメを使ったタンザニア料理の代表選手は、なんといってもPILAUピラウ
炒めてないピラフという感じの、さっぱり系料理(タンザニア料理には珍しく)


聞いたところによりますとレシピはこんな感じ↓だそうで。
<材料>
米(細身のものがよい)  牛肉
じゃがいも   玉ねぎ
にんにく

クミン  カルダモン  シナモン
油  水
トマト  きゅうり  玉ねぎ  ライム

<作り方>
1.じゃがいもを適当に切って水にさらす、玉ねぎは輪切り、にんにくはみじん切りに
2.スパイスの準備
(A)火で軽く炙ったカルダモンをクミンと一緒に軽くつぶしておく
(B)クミンとシナモンを水に浸しておく
3.牛肉を煮込んでおく(肉汁もあとで使うので捨てないように)
4.じゃがいもと玉ねぎをいため、玉ねぎがきつね色になったところでにんにくを投入
5.(B)と肉汁を加える
6.(A)と湯を加える
7.あらかじめ洗って水に浸しておいた米お加えて混ぜ合わせる
8.塩で味を整え、煮立ったところで肉も加える
へらでかき混ぜながら水分を調整、米がほとんど水分を吸った状態がベスト
9.蓋をして待つこと15〜20分

そのホカホカご飯の上に
10.薄切りのトマト、きゅうり、玉ねぎに塩とライムをかけて味付け
したKACHUMBARIカチュンバリをドバッとのっければ、
ピラウ完成〜!


昼食は毎日病院前の食堂でこのピラウを食べます。
こちら昼の行きつけ、ローカルキオスク
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ハチやカラスが多いのと時々の値上げとを除けば文句なしですが、
にしても汚なっ。写真では分かりにくいですがかーなりきちゃないです。 慣れますが

ピラウ出来上がり
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行くと注文しなくてもピラウ出してくれます。
これで約80円。

安くて美味くてわりとヘルシー
野菜も摂れる貴重な栄養源です。

スパイスがあれば日本でも簡単に作れますね。
日本では味わえないアフリカ的あふくろの味、ぜひお試しあれ〜

posted by たいよう      at 21:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

時箱

こっちは涼しい夏が終わり、まさに暑い夏に突入しようかというところです。
日陰にいても汗が出るようになってきたこの1〜2週間
わが愛しの九州はちょうど紅葉の見頃くらいですか?


一年という月日は短いようで長いようでやっぱり短いよう

一年前の今日。

職場の同期と旨いもつ鍋食べて、その足で志賀島にタイムカプセルを埋めに行きました。


中にしまったのは、8人が一人ひとりに向けた手紙
そして、自分自身に向けたビデオレター
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掘り起こすは10年後 
2017.11.11  am11:00 


今日が昨日になり、明日がやがて今日になる3650日。
目印にしている木も幹の太さを増し、そこから眺める福岡市の景色も様変わりしてるかもしれません。

そしてなにより、そこで顔を合わせた一人ひとりがきっと大きく成長しいきいきした人生を送ってるといいなと思いながら。

一見なにも変わらないような日々の中で
それぞれが何かを経験し化学変化のような何かが
じわじわと内側から人を大きくしてく

10年後のその手が何を掴んでいるか、その手で何ができるようになっているか

将来のことなんてなにも分からないだけ、なおさらワクワクです。
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posted by たいよう      at 21:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月10日

劇的 BEFORE&AFTER

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痛々しい内戦の爪あと…  ではなく、これがリハビリテーション棟の以前の姿

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2階は完全に廃墟化、
業務に使う1階部分でさえ床はきしみ、柱は腐り、壁は朽ち果て、窓ガラスは欠け、天井は剥がれ落ち、
もはや崩壊済も同然。
良く言って年季の入った建物、正直言うとただのオンボロ屋敷
今こうしてBEFOREを見てみると、赴任当初の「なんだこりゃ〜」的な感覚がよみがえります。

それも−
約3ヶ月の時を経て完全に生まれ変わりました。
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どこかのコテージのような眩しいほどの白さ
もう、床がきしむことも天井が剥がれてくることもありません。
気分転換に窓から外をのぞけば、どこまでも青い海が水平線の彼方まで広がっています。
 
内装もこの通り

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BEFORE → AFTER
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BEFORE → AFTER

清潔感のあるすっきりした新リハ室の誕生です。

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建物だけではなく、新しいエルゴメーター、ステッパー、バランスボール、トランポリン、裏庭にはプール(ビニール浮輪付…)までこしらえてあります。
使うかは別としてもなかなかの充実っぷりです。

OT室は2階に引越し。
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アクティビティーに使えそうなものが充実しました。
壁にはティンガティンガ風の動物の絵がたくさん描いてあります。

トイレもついに洋式を採用。
車椅子用の広々としたトイレも完備してますが、使ってみて気づいたこと。
紙さまが、いない…
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代わりにお尻洗い用のシャワーがついてるとこがいかにもザンジバル的です。

ただの空き地だった建物の前の敷地も、きれいに整えられ庭園に生まれ変わりました。
手持ちぶさたの看護師が毎日せっせと野菜を植えていた裏庭もすっかり整地され、今はペンペン草一本生えてません。
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とっくに捨てられたと思っていた一品も、これまたリニューアルして帰ってきました。
だれが使うの?という疑問はさておき、見よこのサラブレッド然とした勇姿!
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ありがたいことに、LANケーブルまで完備してくれました。
さすがに過援助ということでしょうか肝心のパソコンまでは設置されてませんが、自分のパソコンを持っていけばいくらでもネットやり放題。
これでネットカフェに行かなくてもネットができるようになります。
これもDANIDAに感謝。



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雨ニモ風ニモマケズ、夏ノ暑サニモ断食ニモマケズ
限られた工期の中、大工たちは休みなく働き続けました。
文句一つ言わず明るくはつらつと仕事をこなしてた若大工たち。
毎日工事を眺めてうるちに、いつしかたくさんの大工と友達になりました。

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オフェス‥ エレクトロサラピー‥
ちらほら間違ってるところもあるけど、おかげで立派すぎるほどの建物ができました。
そんな大工たちに。

感謝です。
SHUKURANI JAMAA!
posted by たいよう      at 22:34| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

女王さま来たる

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MINISTRY OF HEALTH AND SOCIAL WELFARE ZANZIBAR
THE INAUGURATION OF THE RENOVATED PHYSIOTHERAPY BUILDING







大きな垂れ幕を街中に用意して準備万端の11月5日
ムナジモジャ病院の新リハビリテーション科のオープニングセレモニー当日です。
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デンマークのODA であるDANIDAの援助で進められたリハビリテーション棟改修工事。
タンザニア人の大工たちによって急ピッチで進められた(何事ものんびりなタンザニア人としては驚異的な速さだったと思う)工事は11月に入ってようやく完成し、あいにくの雨に祟られながらもついにこの日を迎えました。

主賓は、デンマーク王室を代表して来ザンした女王マルグレーテ2世
それとザンジバルを代表してアマーニ・アベイド・カルメ大統領

ちっちゃな島の大統領(日本でいう市長くらいか。病院の隣にステイトオフィスがあるのであまり遠い存在に感じない)はともかく、デンマークの国家元首をお迎えするということでものものしい警護態勢が敷かれる中、3時間遅れで女王一行が到着しました。

僕らリハビリスタッフにとってのセレモニーでの目玉はなんといっても主賓を招いてのリハ棟の案内です。その流れは
 @できたてほやほやのリハ棟の見学
 Aじっさいの治療風景の視察
 B女王、大統領への謁見

なんの打ち合わせもリハーサルもないアフリカ的ミーティングだけで、みな本番に望みます。
平静を装っていても、とうぜん心臓はバクバク、かなり緊張です。

改修工事のおかげでこれから快適にリハができること、日本のODAとしてJICAはボランティアという形で支援を行っていることなど、直接伝えたいことは山ほどあってだいたいの会話の流れはイメージしてたんですが−


 …しまった〜 完全にしまりました…

そもそも、あなたがいきなり発した「コンバンハ〜」で出鼻をくじかれたのが原因です大統領。
大物を前にただでさえ緊張してたのにその一言でいっそう困惑。
さらりとスマートに「こんにちは」と返すべきか、そこはひとつ大統領を立てて「こんばんは」と返すべきか…
と考えてるうちに「こんバ、ニちは…」みたいな訳の分からない日本語が口をついて出てしまってさらに頭は大混乱。
脳内は英語とスワヒリ語と日本語がごちゃまぜになった半カオス状態。

脳、止まりました

「この方はどのようにして怪我をされたんですか?」(←後で聞いて知った)という女王の唯一の問いかけにも「YES !」と、また訳の分からないイエスマン的な返事をかましました。

目の前に一国の女王と大統領がいては頭真っ白。
他のスタッフのフォローに助けられてなんとかスムーズにことは進みましたが…
変な汗いっぱいかきました。


空白の時間の中でわずかに頭に残ってるのは、女王に差し出された手の柔らかさと温かさ。
印象は、ジブリに出てくる人のよさそうなおばあちゃん( すいません )という感じです。
すらりと長身(180cm近い)で背筋をピンと伸ばした端正な姿勢からはたしかに高貴なオーラがぷんぷん漂ってました。


にしても、改修工事一つくらい( すいません )で女王がはるばる駆けつけるとはすごいことです。
人件費含む改修費がおそらく数万ドル、それに対し専用機を使った女王の訪問がおそらく数十万ドル。
破格のスケールでお送りしております。
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翌日の新聞。
どの記事もオバマ氏勝利(父親が隣国ケニア人のためタンザニアでも大きな見出しで出ている)を伝える中、やっと見つけました。

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”PHYSIOTHERAPIST ANAYETOKA JAPANI AMEFANYIKA KUWAONESHA VIONGOZI MAZOEZI VIZURI !”
”日本から来た理学療法士、見事な天覧リハを披露!”









・・・とはどこにも書いてありません、やっぱり。
目を凝らしても顔すら写ってません〜 その壁の向こうにいたんですよ、実は。


まぁ。ちょっと失敗しましたがそれはそれでいい経験できました!

当たり前のことはいっこうに期待できない環境でありながら、こういった奇跡的な体験には巡り合う。
つくづく不思議なところに身を置いてるものだと、今更ですが感じます。


posted by たいよう      at 21:38| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月04日

Chakula cha Kijapani

タンザニア料理はだいたいどれも
不潔強塩多油多糖多量時々激辛
まさに不健康の極み。

しかも、その影響が健康診断の結果に少し…
てことで。
10月からやっと自炊始めてます。

作るといっても、そこは男の料理。
レパートリーも少ないし、分量も味付けのさじ加減もその日の気分次第。

よく作るのは、パスタやカレーやパスタや野菜炒めやパスタ。
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各種スパイスを入れたり味噌汁用のみそ入れたりマヨネーズ入れたりライムしぼったり、
飽きないように少ないレパートリーの中でも毎日ちょっとずつテイストを変えながら一工夫します。

だいたいいつも2食分は作って、
残ったおかずは冷凍保存 → 翌日の朝 or 晩にホットサンドの具にする
白飯も少し多めに炊いて、残りは翌朝用におにぎりにぎる or焼飯用に冷凍


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こちら、最近ヘビーローテのホットサンドメーカー!スーパーで安売りしてたのをすかさずゲット。

スライストマトとプロセスチーズをトッピングして、だいたいのものはホットサンドでおいしくいただけます。
ご飯にパンの過炭水化物な組み合わせもなんのその
油も使わず実はなかなかヘルシーな一品です。
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自炊を始めると、足繁く通っていた食堂で外食する気も不思議となくなり最近ほぼ毎日自炊するようになりました。
野菜や肉なんかは近所のソコsoko(マーケット)で買うと安いので、帰りがけにしょっちゅう寄ってます。


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最近のいただきもの。
テレビ・ラジオでおなじみ!まちの人気物(なんですか?)の 
うみゃーっ手羽!!
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いやー、こりゃ確かにうみゃーっです。
こういう味、大好きなのです。
日本の味に思い馳せました。



いま頭に浮かぶ日本で食べたいもの…

 とん太のトンカツ
 さかな館の生パスタ
 ラーメンきあげ
 学食の豆腐番長
 やよい軒の白飯
 ポン・デ・リング
     .
     .


どれもこれも今は叶わぬ夢ですが、もう500回くらい寝れば食べられます。
帰国後の楽しみの一つです。
posted by たいよう      at 22:10| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

イスラムに浸かって思う

今日はイスラム教について。

イスラム教はアッラーという神のみを崇拝の対象とする一神教です。
神munguという単語に複数形は存在しません。

偶像崇拝禁止のためアッラーの絵や写真なんてものは存在せず、そもそもアッラーが男なのか女なのかすらも分からないとイスラム教徒は口を揃えます。
そんなアッラーですが、日本人から見ると、神の存在をより日常的に感じているような印象を受けます。

日本では「やおよろずの神」という言葉がありますが、森羅万象全てのものに神々が宿る、という発想はイスラム教徒には理解不可なよう。  
そんな馬鹿な、といった顔をしながらも、
  あの木にもこの靴にも、そのおしりにも神がいるのか !?
イスラム教徒は興奮ぎみに尋ねてきます。


イスラム圏において、神はどういう役割を果たしているのか−

ある日、よく知った人にお金がないから1000シルくれ、と頼まれました。
(イスラム圏には「喜捨」という宗教的慣習がある。信者の義務であるイスラム五行の一つで、金持ちは貧しいものに施しを与えなければならないというもの。 そのため、街でも当たり前のように手のひらを差し出されることがある。)

正直お金を直接渡すようなことはしたくないんですが、
 どうしてもないんだ、今日の分だけでもくれないか?
との懇願。

  それで明日はどうするの?
  明日は他の人に頼むよ
  あさっては?
  きっと神が助けてくれるさ

楽観的だなぁと思いながらも、ほんとに困ってる様子だったので 
「おれはイスラム教徒でもないから喜捨はしないよ、これは今回だけ。日本には裸銭を渡してよしとする習慣はないから・・・」とだけ伝え、渡すことにしました。

  あさっては神がお金をくれるの・・・?
    − そうじゃないんだ

そう言うと、彼は両手のひらを自分に向けた祈りのポーズで神に向かってこう言いました。

  全能なる我らが神よ、あなたに感謝します。
  こうして1000シルの恵みを受けました。

えーっ・・・ !? 神に感謝するの?おれは一体・・?
一瞬あっ気に取られて見ていると、その後に続けて一言。

  そして、彼にはこれ以上の恵みのあらんことを−


ははーん! なるほど。

ここにイスラム世界での神への信仰心の表れが見て取れます。

人に助けてもらえる・恵みをもらえるのは、まさに神の思し召しがあってこそ。
つまり神が意として恵みを与えたという風に解釈されます。
だから、直接的な感謝の気持ちは他でもなく神に向けられる。
そして施しを行った人間に対しては、自分からではなく、また神の思し召しによって恵みが与えられる。

それがイスラム的な考え。

スワヒリの格言にもあります。
  HATA UKIWA HUNA BASI, MUOMBE MUNGU ATAKUJALIA UPATE.
  困ったときは神に頼むべし、思し召しで恵みが与えられるだろう。


そういえば、日常会話の中でも必ずと言っていいほど「神」が登場します。

別れ際の、また明日ね、という台詞の後に必ず一言。
  Tukijaaliwa. ( Insha Allah. や Mungu akipenda. とも言う )
これらはいずれも、もし神が思し召しならね、という意味です。

将来のことなんて、人間のちっぽけな能力ではとうてい分からない−
全てのことを決めるのは神(=アッラー)であり、まさに 「神のみぞ知る」 ということです。


全てが神という存在を絶対的な拠りどころとして成り立っている社会、イスラム。
その神という軸に一切の揺るぎはありません。

生きることのあらゆる問いに対し、神に答えを求め、そして神に答えを見出す。
トイレでくらいしか かみ を意識することのない自分のような無神論者的な思考回路ではなかなか理解できない思想があり、やはりいつ見ても彼らの信心深さは新鮮なものです。

こうして考えると、一神教、多神教という枠を飛び越えた信仰心の深さの違いのようなものを感じます。
もちろん、どちらがいいとか悪いとかは全く別として。

そんなこんな、ザンジバルでの生活は「宗教とはなんぞや」ということをいつも考えさせられるな毎日なのです。
ラベル:イスラム教
posted by たいよう      at 21:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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