2009年03月29日

ドン底見タリ

現実を知ることには落胆を伴う場合が多い
知れば知るほど知りたくなくなることもある

「約束」に対するタンザニア人に認識に関して
いついつの何時と約束しても、タンザニア人がきちんとその時刻にやってくることはない
公共の施設であれサービス業であれなんであれ、日時に関してきちっと約束を守るタンザニア人はほとんどいない
keshoはスワヒリ語で「明日」という意味だが、その訳ははっきり言って疑わしい
「いつかそのうち」と訳したほうが絶対にしっくりくる
Insha allah(神が望むなら)
この一言がつくことで、約束のあいまいさはさらに絶望的なものになる
「神がお望みじゃなかったんだ」
そう自分を正当化する人に会うたび、あらかじめ神という言い訳や逃げ道を作られてるような気がしてくる
しかも神の意思である以上自分が謝る必要はないと考えているのか、すいませんの一言を絶対に言わない
(注 彼らはあくまで本気で神を信じてそう言っている。こうとき、自分には理解しがたいイスラム的思考を垣間見る)
こういうストレスが日に日に蓄積され、チリも積もれば山となって、気持ちがかなりまいった時期があった

赴任10ヶ月目
仕事・プライベートで、約束をすっぽかされるということがひたすら毎日のように続いた時期
日時を決めた以上その時刻に遅れたくないとこっちはそれなりの行動をとるが、それらの約束はどれ一つとして果たされなかった
遅れるとかいうレベルではなく、結局その場に姿を現さなかった
悪意のあるなしとか、もうどうでもよかった
結局、残るのはまた反故にされたという失望感だけ
このときばかりは何も前向きに考えられなかった
信じた者がバカをみる
信じた数だけ裏切られる
辛かった
対ストレスの容量オーバー
出口の見えない無気力感
生まれて初めてかってくらい気分が塞ぎこんだ
タンザニア人に会うのが本気で嫌になった
正直タンザニア人そのものが大っ嫌いになった
外に出ればタンザニア人に会う
会えば何かしらのストレスを受ける
仕事は直行直帰、休日も外出する気になどなれなかった
はるかタンザニアまで来て、タンザニア人のために汗水流して、その結果がコレ?
裏切られてばっかりの自分の存在意義は?
そこまでして、タンザニアのために働く必要がどこにある?
答えの出ない自問自答だけが頭の中を巡り気持ちの落ち込んだ日が数日続いた

もうタンザニア人の言動を信じない

それが最終的に導き出した、自分なりの答えだった
このままだと自分がダメになると知った時、とにかく今は自分の気持ちを最優先に考えないといけないと悟った
何よりも自分を大事にしたい時期
そうしないと自分がもたない
気持ちの面での一番の山場だったと思う

信じないという決意にはある意味覚悟がいる
ただし、これはあくまで言動を信じないということでタンザニア人自体を信じないというのとは自分の中で区別しているつもり
タンザニア人のことをなんでも信じている
そう言えたら確かに美しいが、自分にはそういう壁の乗り越え方はとてもできなかった

だが、その決意をしてからというもの不思議なくらい気持ちがラクになった
何をするにしても余分な気負いや力みなしで取り組めるようになった   
背負ってた無駄な荷物を降ろしたぶん、フッと肩が軽くなったような感じに近い
その分自分が受けるストレスも少なくなり、ようやく気持ちのドン底から這い出せた

それから2ヶ月が過ぎ、今は落ち着いている
落ち着いた目で見れば、人の親切なところやいい所が自然と見えてくるから不思議だ  


あと1年

何かしようと思えば短くもあるが、何もしないには長すぎる時間がまだ残されている
あのときの自分は、何を思ってタンザニアに来て何をどうしたいと考えてたのか
もう一度初心を思い出し後悔のない活動にしたい
ラベル: 信じない
posted by たいよう      at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

turning point

タンザニアにやってきて1年
今日が活動の折り返しの日


実を言うと

1年前の3月
24日の予定だった出国は、いろいろあって28日に変更になってました・・・

事情を話し出すと長くなるけど、イエローカードの紛失と言ってしまえばそれだけのことでもありまして

イエローカードは黄熱病のワクチン接種証明書
いちおう黄熱病流行国指定のタンザニアでは、出国前月に規則が変わって入国時の提示が必須に
そうとは知らず、提示の必要はないという聞き話のまま高をくくって関空に集合したはいいけど
突きつけられた現実は厳しかった〜

一人渡航延期。

え?
まじ!?

イエローカードって1発退場だったっけ〜??




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同期隊員の皆さん、いってらっしゃ〜い・・・


こうして
2年間帰るまいと覚悟していた唐津に、翌日帰宅

いろんな人に盛大に背中を押して送り出してもらった手前、周囲の人にも実はまだ日本にいますなんて言いだすのも気がひけまして・・・
なんだか後ろめたいような気分で再発行を待って、4日後ひっそりと ” 再 ” 出国したのでした

初めての国際線に一人ぼっちで搭乗
このときの不安感は今でも忘れられません

1年前の日記に綴った、一人ぼっちのタンザニア赴任の想ひ出・・・↓↓



3/28(金)   (途中から抜粋)
きょろきょろしながらも平静を装ってなんとか搭乗
初めての国際線
さすがエミレーツ
エコノミークラスにも全席モニターが装備されている
が使い方がよくわからない
右のボタンを押せば上、下のボタンを押せば左にカーソルが動く
まさに右も左も分からん
イヤホンジャックをさす穴もなし
隣に腰掛けたの日本人女性もしきりにボタンを押しまくってる
目にする文字、耳にする言葉は英語とアラビア語ばっか
目の前を歩く人たちも彫りの深いダビデ像のような人ばっか
関空ってことをとっくに忘れ、もう異国にいるんだと無意識のうちに思い込んでた
23:05の便だったが、結局離陸したときは日付け変わった29日
眼下に広がるのは大阪の明々とした街
日常と何も変わらない街明かりを見ていると、これから自分が未知の世界に飛び込むことがひどく非現実的なことに思える
これで本当に日本とはしばらくお別れ
サヨナラジャポン
今度こそ

離陸後まもなく機内食のサービス
Fish or chicken?
すんなり返答ができなかった自分にちょっとがっかり
にしてもこんな時間に・・・?
何ご飯?
だが残しちゃもったいない
イタダキマス
クスクスというパサパサの小さな米みたいな主食にチキン、サラダ、パン、フルーツ、ゼリー
丁寧に箸も用意されてるが、どうにも食べにくく結局スプーンで
どのくらい飛んだだろうか
まだ眠ってるというのに、起きるともう朝食が運ばれていた
窓の外の景色は一向に変わらないけど、どうやら朝らしい
腕時計の時刻は8〜9時くらいだったと思う
蒸し魚と白飯
今度こそ箸で食べれそう
これ幸い、窓際で外の景色を見られると思ったが、実際に街を眺めることができたのは関西の夜景と朝もやのドバイだけ
あとは街という街の上空は通っていないみたいだったし、なにより11時間のフライトのほとんど全てが夜だったから
東から昇る太陽から逃げるように、西へ西へと飛行を続ける飛行機
太陽がようやく追いついたのは、ドバイに向けていよいよ高度を下げようかという時になってから

ドバイ空港に着いた今でも言葉の壁が重く圧し掛かる
一人トランジット5時間
何していいか分からん
せめて英語で会話できたらとか今更のように思っても、もうどーしょーもなし
しょうがないから、いろんな人種の人たちが行きかう様子を尻目にトランジット内にあぐらをかいて今こうしてパソコンと睨めっこ
忘れないうちに日記中
このままじっとしていても埒あかないから、勇気出していざコスタカフェ
やっとの思いでモカを1つ注文
クリームやらシロップやらで10ドル近く取られたけど、文句の1つも言えるわけなかった
モカの苦さとあいまって、なんとなく苦々しーい思い

一度ドバイに来てみたかったという念願とトランジットから一歩も外に出られなかったという無念
アフリカへ向け滑走路を走り出した飛行機の中でドバイに小さく別れを告げ、目指すは目的地ダルエス
白みがかったドバイの砂地にそびえたつ高層ビル群を眼下に見下ろしていると、あっという間に景色は砂と土に覆われていく
グラデーションを彩る間もなく、すぐに赤茶けた大地、そして切り立った荒々しい岩山へと変化していく
ここはオマーンの大地?
遠くに目をやれば、わずかに丸みを帯びる地球
空気が澄んでいるのか、窓からは数100キロ彼方のバベルマンデブ海峡までも見通せそう
地図帳の世界が今ここに
もうちょいでアフリカ大陸
実感はなかったが、自分はまさにその渦中にいた
ここでの機内食にもはや箸の姿はなく、スプーンを使ってマトンのカレーを食べる
たぶん昼食
窓の景色なんて、とうの昔から大して変わっていないような気がする
目印になるものがないから窓の外に広がる世界の規模など知るよしもないけど、はるか下に見える小さな雲の塊もきっと馬鹿デカイものだと思う
モニター上のラインが何を意味しているのか気にとめなかったけど、それが赤道だって気がついたのは南半球に入ってしばらく経ったころ
あれはケニアとソマリアの国境の辺り?
いつのまにか上空にも雲が見える
だいぶ高度を下げてるのだろう
大きな積乱雲が目の前に立ちはだかっていた
ここは南の国、今さらふと思い出す
たしかに分厚い窓ガラス越しの日差しですでに右腕はジリジリと焼けるように熱かった
はるか昔、奴隷貿易の拠点ザンジバルと支配国オマーンを結ぶダウ船がこの辺りを往来していたと本で読んだ
今回とまさに航路が重なる
この大海原を風だけで?
当時の人々の苦労に思いを馳せてみたりみなかったり
Siwezi kutazama mlima wa Kilimanjaro kutoka ndege hii ?
勇気出して前席のタンザニア人(たぶん)に男性に声をかける
Leo .... kuna mawingu ... mengi ... haiwezekani ... ...
あまりにも速い返答でほとんど理解できなかったが、雲のせいで今日はキリマンジャロが見えないんだって言ってることはなんとなく分かった
しばらく会話をしているうちにむこうから連絡先をくれた
省庁勤めのニコラウス氏、声をかけたタンザニア人第1号

@ダルエス空港
飛行機からタラップで下りるときの第一印象・・・
アチー!!しかも蒸す!
ミストサウナ?
甘っちょろい予想をはるかに超えた暑さ
溶ける・・・

JICAのスタッフのお迎えのもと、向かったのは同期隊員が待つドミトリー
4日遅れの到着
みなに大歓迎してもらってやっと一安心
疲れたー
ドミでゆっくり
とりあえず日本に無事到着メール
向こうは早朝だから、返信はまだ来ないかな
疲れたーーーーー
まずはタンザニアでの記念すべき初めての夜
熱帯夜
慣れない蚊帳で、もー寝る


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当時の日記読むと、初々しい気持ちが蘇ります

良くも悪くもふてぶてしさを身につけ、前ほどのアツい気持ちもなくなってしまった今日この頃
初心を忘れないよう、昔の日記を時々見返すようにしてます

1年前の日記をカンフル剤に
今を後悔なく過ごす
全ては1年後の日記に充実した内容が書けるように・・・




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関空からの帰りにたまたま見かけた去年のサクラ
延期にならなければ見られなかったし、決して無駄な4日間ではなかった


ラベル:1年 日記
posted by たいよう      at 23:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月24日

日韓親善

チゲ、チヂミ、豚汁、巻き寿司、カボチャの煮物

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テーブルにはBYO(Bring your own )で持ち寄った韓国風、日本風料理がずらりと並んでいる
マイチョイスは自信作のたまご肉味噌

JICA&KOICA(韓国版JICA)のボランティアスタッフでの夕食会
気がつけばザンジバルで活動するJICAボランティアは9人にまで増えている
それに同じくザンジバルで活動するKOICAボランティア6人を加えた計15人での賑やかな夕食会になった
こうして日韓ボランティアがみな顔を合わせるのは初めて


こういう場でよく出るのは宗教の話

やっぱり日本の宗教観(とくに若者の無宗教的傾向)を思うように説明することができない
単にどう表現するか(英語とスワヒリ語ミックスで会話している)の問題だけでなく、こういう日本の状況を外国人に話すことになんとなく抵抗を感じるようになっている

だが無宗教的な傾向は日本に限ったものではないよう
その証拠に、KOICAの一人は「何も信じてないよ」と堂々と言い切っていた


簡単な日本語やマンガのこと、アーティストのこと、スポーツのこと
韓国人は日本の文化について思った以上に知っている

竹島やその他歴史認識などで多くの問題を共有し何かと対日感情の複雑な韓国だが、隣国としての日本を冷静に見つめ学ぶべきことは自分たちの文化の中にうまく吸収していこうという真摯な姿勢がある

彼らは日本に対しあらゆる興味のまなざしを向けている
対して、日本人は韓国に対しどれだけの興味を持っているだろう

目と鼻の先を隔てた隣の国なのに、あまりにも知らないことが多すぎる


自国のこと、他国のこと
知らぬは一生の恥という言葉が頭にポツンと浮かぶ


てことで
知らないことは積極的に学びましょう。



今日は韓国語を4つ覚えることにします

 マシッソユ  おいしい
 キムチジョン  チヂミ
 ヌナ  お姉さん
 イジュップン  20分
ラベル:興味 韓国語
posted by たいよう      at 01:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月23日

エスターがやって来た

大雨季が始まると人々が口を揃えて言う3月21日を過ぎたというのに、一向に雨が降る気配なし
しかも、これから暑さも和らぐはずなのにここ一週間うだるように暑い日が続いてます

そんな猛暑の中

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こちら、NTC(二本松訓練所)のスワヒリ語講師エスター
隊員の活動視察も兼ね、はるばる日本からやって来ました

去年の3月まで2ヶ月の訓練を受けて以来、丸1年ぶりの再会


再会の第一印象は
「なーんにも変わってない!」
1年前そっくりそのままで懐かしーい


でも
何かが変?

見た目も中身も確かに同じなように見えるのに
この違和感は?

なんか周りのタンザニア人とは違うような・・・




・・・あれ、この人って、ニホン人?


1年という月日は、むしろ自分のモノの観かたを変えてしまっていたよう
見た目タンザニア人の日本人
文化の違いによる国民性の差に敏感になっている嗅覚がそう告げてるようです

人と接するときの物腰、周囲への気配り、時間に対する意識・・・
なにもかも僕の知っているタンザニア人とは全く違います
かもし出す雰囲気も、どこかちょっと「和風」

いかにも日本人的な一つ一つの所作が、タンザニア人ばかりと接してきた目にことさら印象的に焼き付けられます

NTCにいた頃
アフリカ人ってこんな人なんだ〜〜
って新鮮な感じすらしてたのに
今じゃ、まるで日本人にしか見えない・・・

そういえば
少し前まではちょっとしたことでも「タンザニアって、途上国って、」だなんて偉そうに思ってたのが、最近は「先進国って、」と考えることが多いように感じます

そういう時、いつのまにかアフリカ寄りな視点に立って物事を解釈している自分を発見
1年いると自然にこうなるもんでしょうか


タンザニアの悪しき習慣に対する抵抗感も薄れ、自分自身も平気で同じように振舞うようになっていた最近のだらしない自分・・
異文化を理解しそれにどっぷりと浸かることと誇るべき自前の文化を持ち続けることに何の矛盾も感じる必要はないわけで、1年という月日の中で徐々に忘れかけていた「日本人らしさ」というアイデンティティーを今更こうして突きつけられたような気がしてなんとなくむずがゆく思います

ちなみにエスター講師は来日して約30年
そういや日本暮らしの方が長いんでした

納得。



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昼飯を前にテンション高め

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山盛りのエビを動画に収めたいエスター 
基本おちゃめ



視察に便乗し他の隊員の活動も見てきました

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↑理数科教師
 養護教諭
 灌漑指導員
 
みんなよく働いてますなーぁ

posted by たいよう      at 23:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月11日

smile²そのA

子供は写真に撮られることが大好きだ

カメラを向けると
Picha ! Picha !! 写真撮って!
と駆け寄ってくる子供

いっちょ前にポーズも決めて写真におさまったかと思えば
Piga tena !! もう1枚!
飽きることなく今度は違ったポーズで待ち構えている

気がつくと大勢の子供に囲まれ
Na mimi ! Piga !  オレも!アタシも!
そんな時はいつも、家に帰って子供の写真の多さにビックリする

今日もいっぱい撮らされたななんて思いながら、イキイキした写真に自然と見ている表情も緩む




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白い浜 一人で立つ子 まだ5ヶ月

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おすましな ぽっこり出ベソ アフリカン

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風を切り 走る子の股 窓全開 

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ラベル:Picha イキイキ
posted by たいよう      at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

名前の文化

今日は名前について。


ザンジバルでよく耳にする名前は

Mohamed モハメド
Said サイード
Abudula  アブダーラ
Ali アリ
Suleiman スレイマン

このあたりの典型的なイスラムネームです。


ですが中には変わった名前もあって、
・生まれた日に関わることや出産のときの様子を表した名前
Ijumaa 金曜日
Pili 2番目
Mwanadawa 薬の子

・なにかしらの願いや決意・予測をこめた名前
Mwanabaraka 恵みの子
Jaribu 挑戦せよ
Sisahau 忘れないよ
Sihitaji 不要です
Mchome 彼を刺して

・その他
Bimkubwa 巨大な女
Matatizo, Shida 問題、やっかいごと
Haji 彼は来ない
Sikudhani 考えない
Mzee 老人
Chinko ・・・・。
こういう名前をつけられた子供の将来がちょっとだけ不安です。


イスラム圏の名前は特徴的で「本人の名前・父親の名前・祖父の名前」という風に続けて名乗るのが習わしだそうです。
女の子の場合も「女の子の名前・父親の名前・祖父の名前」です。

例えばHassan Khamis Vuaiという人の場合、Hassanが自分がもらった名前で、 Khamisは父親、 Vuaiは祖父の名前ということです。

変わった名前に出会うたび、孫の代まで残るなら子供にはもっとステキな名前を―
とついつい考えます。

ちなみに、名前の間にBinというものが入ることがありますが、これは「息子の」という意味
あのオサマ・ビン・ラディンは、「ラディンの息子オサマ」という意味です。

名前の付け方ひとつにもいろんな習慣があるものです。




日本で08年生まれに人気の名前は
 男の子 @大翔 ひろと
      A悠斗 ゆうと
      B陽向 ひなた
 女の子 @陽菜 はるな
      A結衣 ゆい
      B葵 あおい
だったそうですね。


たとえば 大翔・和男・コメ吉・・・

はたまた 陽菜・博・亀五郎・・・




うーん

親子三代法は流行りすたりのないイスラムネームだからこそなせる業であって、時代の移り変わりを手に取るように感じる日本の名前では難しいようです。


ヘタしたらいじめや引きこもりの原因にもなりかねないし、これで恨まれたら天国のご先祖さま達もきっとうかぶにうかばれません・・・
posted by たいよう      at 22:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月05日

5時間45分。

12:15

先に走り終えたみんなに迎えられついにゴール

走り終えた瞬間から歩くこともままならないような足の痛みに襲われるが、達成感はそれを上回る
いつもこの瞬間、走ってよかったなと思う
ほぼドンケツだったが、6時間を切れて満足

たかがランニング
されどランニング

走るだけだからこそいろんなことを考える
参加者の数だけドラマができる

応援してくれたみんな どうもありがとう

わざわざ握ってくれた、塩こんぶ&ゆかりおにぎり
塩味が染み入ります
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みんな完走
笑顔で締めくくれ、楽しい思い出になった

ラベル:完走 おにぎり
posted by たいよう      at 23:37| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

キリマンジャロマラソン

先週末、またモシに足を運んだ
今回の目的はマラソン

通算5度目となる今回は、見慣れた指宿の海辺ではなくキリマンジャロ裾野に広がるモシの街並みを見ながらとなる

参加者は5kmファンラン約2000人、ハーフマラソン約2000人、フルマラソン約1000人
隊員も総勢6人がエントリー
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今回の目標は完走
たぶん最初で最後となるアフリカでのマラソンだけに、途中で諦めたくなかった
ムリせずゆっくり楽しんで走りたい
気分はあくまで42kmファンラン〜

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朝6:30
号砲とともにまだ薄暗いスタジアムを出発しアップダウンの多い街を走りだす
高低差300mのコースは前半は街中、後半は山麓を走る

引き締まった黒人ランナーは見るからに速そう
走ってみると、やっぱり速い速い
残像と風を残して走り去っていく
先頭集団はケニアやタンザニアを代表するトップアスリート
上位者には賞金も出るので、真剣そのもの


7km
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アスリート 風とともに去りぬ
小折り返しを過ぎた彼らはすでに17km地点


13km
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プチランナーズハイ
ほんの一瞬だが疲労感を感じなくなった


18km
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沿道からの応援に力が出る


21km
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中間地点
コーラ発見、つい飲みすぎペースダウン


23km
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「Maji yameisha. 水ならもう無くなったわよ」
無情な一言に肩を落とした給水所跡地


24km
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かと思えば、滝のように水をたれ流す給水所


27km
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雲がはれ、姿を現したキリマンジャロ
モシでもなかなかきれいに見えることはないそう


32km
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この折り返しまでが上りで、あとはひたすら下り
足の負担を考え斜度の急なところは早歩き


37km
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もはやランナーの姿はなく、人々は日常生活に戻っている
あまりにもフツーのアフリカ
今日ほんとにマラソン当日?


40km
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そっけない看板
もうあと少し
posted by たいよう      at 23:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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