ある日夕食を食べていると小さな女の子が頭にカゴを載せてトコトコやって来ました
物売りとは知りながら食事を続けていてしばらく経ったころ、ふと見るとまだその子が黙って僕の方を向いて立っているのに気が付きました
思わず「ハッ」としました
気付いてくれるまでひたすらじっと待ち続けていた少女
「これ買って」ときっと言いたかっただろうのにそれが言えなかった少女
その姿を目にした瞬間、「声なき呼びかけ」という大切なことに初めて気が付きました。
この話を読んで真っ先に思い出したのがママムティリエの少女たち
@ママムティリエ(直訳は、ママよそってあげて!)
日が暮れ断食が明けたあと、大勢の現地人でにぎわうローカルな屋台食堂です
少女たちはここでジュースを売っています
十にも満たないくらいなのか、みな幼い顔ばかりです
洗いざらしのペットボトルに入れたわずか7円ほどの手作りジュース
カゴいっぱいで重たいのでしょう
どれだけの利益になるかも分らないジュースを、大人たちの合間を縫うようにフラつきながら売り歩きます
「ジュイシ ミア(ジュース100シル)・・・」
そう叫びながら歩き回る子供たちのけなげな姿を見ていると、喉が渇いていなくてもつい声を掛けるようになりました
何度も繰り返して使っているため、傷みの激しいペットボトル
その小さなボトルを受け取るとき、必ず名前を聞くようにしています
今まで当たり前のように見すごしていたこと
ブログを読んではっとしたこと
ただ「子供がジュースを売っている」のではないんです
「貧しい家庭に生まれたヌヌが、ユスラが、ファトゥマが、家族の暮らしのために重たいカゴを下げ、一本わずか7円のジュースを夜遅くまで大人に売って歩いている」のです
これが自分だったら、という想像は容易ではありません
でも、もしこれが自分の弟だったら、自分の娘だったら、と想像すると思わずぐっときます
貧しいとはいえその日の食料に困るような生活とは無縁のザンジバル
ここではブラウン管でよく見るような貧困アフリカに触れることはまずありません
そんななか小さな子供が夜遅くに物を売り歩かなければならない状態を目にすると、アフリカが持つ貧しさというものをふと思い出します
自分にできることは何だろうとか考えてみてもたいした答えは見つからないけど、貧しさゆえに家庭での団欒のひとときも勉強のひとときも持てない子供たちがいるのという事実をこの目で見て実感できたこと
その経験が自分の中の何かを変えてくれそうな、変えられそうな気がするのでした