『ザンジバルPT不足の危機』と銘打たれた記事を要約するとこうだ
PT不足の危機がムナジモジャ病院で深刻化している
リハビリを目的に病院を訪れる外来患者は1日50名におよび、リハの対象である病棟に
入院する患者は月間2300名にものぼる
だが現時点で病院に籍を置く常勤のPTは1人もいない
院長のジャミラ医師は語る
「100万の人口をカバーするのに、PTは少なくとも10人必要だ
現時点で国内に養成校が一つしかなく卒業生が少ないのが最大の問題
養成校では、実習での技術的な面だけでなく保健医療が抱える人手不足の
危機感こそを教えなければならない」
だがこの病院は、医師、看護師、助産師、看護学生、諸外国の実習生などを含め、
非情に人材が豊富であるー
見た瞬間、心の底からがっかりした
同時に怒りが込み上げた
最低10人のPT?
危機感を持て?
1人のPTを確保する努力もしない院長の狂言だけがクローズアップされ、僕が必死で伝えたタンザニア人へのメッセージはなかったこととして扱われた
そればかりではない
そこにはJICAという言葉もJAPANという言葉も、1つもなかった
JICAの援助など、完全に無視されたに等しい
今回は「プレスを通じて日本の援助の現状を広くタンザニア国民に発信すること」が目的ではなかったか?
そのコンセプトは一体どこに行った?
大使館で何度もブリーフィングを受けた記者がそれを知らないはずはない
その翌日、ビジネスタイムス誌に大きく写真が載ったが、記事と呼べそうなものは一文も載っていなかった
残りの3社は、いまだにその記事を載せていない
失望感、無力感、喪失感、怒り、悔しさ…
タンザニアに、また強く強く失望することになった
結局、伝えたかった思いは院長にも記者にも、誰一人として届かなかった。
ここでは報われないことがあまりに多すぎる
言葉で思いを述べることができても、それを本当に相手の心にまで伝えるということは難しい
プレスツアーを通し、ますますその思いを強くした
学びという意味ではよい経験になった
だが同時に、今後の活動のやる気をむしり取るのにも十分すぎるほどの出来事だった
自分のしていることにどれほどの意味があるのか、またしても自分の気持ちの足元がぐらついた
心にへばりついたタンザニアに対する負の感情は、そう簡単に払拭できそうにない
かつては活動の原動力でもあった「タンザニアのために」という意志
それも、吹き荒れる理不尽な南風を前に消えてしまいそうである
ラベル:失望