2009年11月27日

報われぬもの

2日後、ガーディアン誌に記事が載った


『ザンジバルPT不足の危機』と銘打たれた記事を要約するとこうだ

  PT不足の危機がムナジモジャ病院で深刻化している
  リハビリを目的に病院を訪れる外来患者は1日50名におよび、リハの対象である病棟に
  入院する患者は月間2300名にものぼる
  だが現時点で病院に籍を置く常勤のPTは1人もいない
  院長のジャミラ医師は語る
  「100万の人口をカバーするのに、PTは少なくとも10人必要だ
  現時点で国内に養成校が一つしかなく卒業生が少ないのが最大の問題
  養成校では、実習での技術的な面だけでなく保健医療が抱える人手不足の
  危機感こそを教えなければならない」
  だがこの病院は、医師、看護師、助産師、看護学生、諸外国の実習生などを含め、
  非情に人材が豊富であるー









見た瞬間、心の底からがっかりした
同時に怒りが込み上げた




最低10人のPT?
危機感を持て?


1人のPTを確保する努力もしない院長の狂言だけがクローズアップされ、僕が必死で伝えたタンザニア人へのメッセージはなかったこととして扱われた



そればかりではない
そこにはJICAという言葉もJAPANという言葉も、1つもなかった

JICAの援助など、完全に無視されたに等しい





今回は「プレスを通じて日本の援助の現状を広くタンザニア国民に発信すること」が目的ではなかったか?
そのコンセプトは一体どこに行った?
大使館で何度もブリーフィングを受けた記者がそれを知らないはずはない

その翌日、ビジネスタイムス誌に大きく写真が載ったが、記事と呼べそうなものは一文も載っていなかった
残りの3社は、いまだにその記事を載せていない







失望感、無力感、喪失感、怒り、悔しさ…
タンザニアに、また強く強く失望することになった



結局、伝えたかった思いは院長にも記者にも、誰一人として届かなかった。










ここでは報われないことがあまりに多すぎる






言葉で思いを述べることができても、それを本当に相手の心にまで伝えるということは難しい
プレスツアーを通し、ますますその思いを強くした


学びという意味ではよい経験になった
だが同時に、今後の活動のやる気をむしり取るのにも十分すぎるほどの出来事だった
自分のしていることにどれほどの意味があるのか、またしても自分の気持ちの足元がぐらついた





心にへばりついたタンザニアに対する負の感情は、そう簡単に払拭できそうにない


かつては活動の原動力でもあった「タンザニアのために」という意志
それも、吹き荒れる理不尽な南風を前に消えてしまいそうである



ラベル:失望
posted by たいよう      at 20:34| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

プレスツアー

JICAを通じプレスツアーなる依頼がきた



在タンザニア日本大使館主催で国内メディアを集め、日本の援助がどのように行われているかを広くタンザニア内に発信しようという企画らしい
日本の援助はタンザニア国内での認知度がとても低いので、この趣旨に賛同し早速OKという返事をした


対象案件は
・大使館草の根無償資金協力 1件
・JICA一般無償資金協力 1件
・JICAのJOCV(協力隊)事業 1件




インタビューに際しては「自分の思うこと感じることを素直に話して」ということだったので、ここはひとつ日ごろの思いを遠慮なくぶつけることにした

メディアというタンザニア人の口を通してタンザニア社会に隊員の意思を発信する
それなら、日本人の口から直接伝える以上に多くの意味を持たせることができるかもしれない

これは大きなチャンス、しかも自分にとっておそらく最初で最後のチャンスになると思った





僕がこの機会に伝えようと思ったことは、

・JOCVの活動がいかに行われているか
・援助を受ける側のあり方

の2つだ






プレスツアー当日
日本大使ふくむ大使館職員と新聞記者5名が来院した

相手が日本人なら気持ちを伝えることは容易だ
それよりインタビューの方が気がかりだった
どこまで自分の気持ちを正確に伝えられるかということに一抹の不安を覚える




話そうと思ったポイントは

@タンザニアでJOCVがどういう活動をしているか
A自分のためでもJICAのためでも日本のためでもなく、タンザニアのために活動している
B私たちはただのマンパワーではないし、ましてタンザニア人の代わりなどでもない
C協力して「共に」働く環境を望んでいる
D国際協力はリハと同じ。できないことを支えることはできるが、自立した部分を必要以上に支えることはできない。  
 それは発展を妨げることにすらなる。まずは、被援助側が自立意欲と自助努力の意思とを持つことが必要である。



実は、A〜Dは援助に対する理解を示さない院長をはじめとした配属先首脳部に伝えたかった言葉そのものだ








院長と話をしたのは、このツアーの準備のときが初めてだった
だが尊敬に値する人物でないことは前々から分かっていた
いや、はっきり言って嫌いだった



赴任当初、挨拶に出向いたとき外で立ち話をしていた彼はなんと言い放ったか
「今話してるとこだろ、後で来い」

これがレシピエントの言うことだろうかと耳を疑った
今でも忘れることができない


その後、わが家の網戸修理を台無しにしたのも彼だ
(JOCVへの住居提供は基本的に配属先=病院の責任だが、予算の折り合いがつかずなかなか網戸を修理してもらえなかった。仕方なくJICAに修理を頼んだが、あとは院長の同意一つという段階になって「こんなはした金、病院で出してやる」とつまらない意地を張り、結局JICAに修理をさせなかった。その後この件は放置され、今でも網戸は修理されていない)


ボランティアが帰ってもそのうち後任が来るくらいにしか考えておらず、JOCVをただの駒くらいにしかみなしていないのも彼
「お前は働いてなんぼだ」という雰囲気は、日々感じる大きなストレスの一つだ



この「援助慣れ」の背景には、放っておいても欧米から数多くの箱物援助が入ってくるという事情も絡んでいる
彼はむしろ、一つでも多くの援助を取り付けることを誇りとしているようにさえ見える





こういういきさつがあり、後任要請もするまいと思った
このままでは後任JOCVが同じような辛い思いをするのは目に見えているからだ

しかしJOCVなしでは今のリハ科は成り立たない
後任を要請することにしたのは、PTがいないことで最終的にしわよせを被るのが患者であると気がついたからで、苦渋の決断だった


院長はJOCVが感じるこの辛さを分かろうとしない
後任を呼ぶことになった以上、なんとしても院長の考え方の方を変えるしかなかった




援助に甘えきった病院に対してあえて捨て身で気持ちをぶつけようと決めたのには、そういう理由があった
病院側にとって耳障りな内容になるかもしれないとは思った
それでも言うしかなかった
自助努力のないところに援助は何の意味もなさない





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大使のスピーチののち、インタビューは無事終了
思いのたけはきちんと言葉にできたと思う



「私の言った意味が分かりますか」と院長に直接聞くことができた

彼はこう答えた
「家を建てようと思ったら、まずは大工の家を作ることからはじめないといけないからな」



彼が何を意図してそういう言葉を発したのか
未だに理解できずにいる

ただ、1つだけ分かったことは彼がこちらの真意を理解していないということだ


posted by たいよう      at 19:57| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月22日

読書のすゝめ

タンザニアに来て本をよく読むようになった

時間があればページをめくり、気がつけば深夜になっていることも少なくない
人それぞれ好みもちがうし感じることも違うけど、好き嫌いをせずにいろんなジャンルの本を読むようにしている


最近読んでよかったと思った本をいくつか紹介します
   
      ↓ ↓





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・メトロに乗って(浅田次郎/徳間文庫)
昭和の香り漂う地下鉄を舞台にしたファンタジー小説
リスム感のよい文章で、読んでいるうちにすーっと感情移入できる
人の数だけドラマがあり、そのドラマの連続こそが人生になる


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・蛍川(宮本輝/角川文庫)
多感な少年期の、ほろ苦くて切ない人間模様を描く
こまかな昭和の情景描写にもついつい引き込まれてしまう
読後感は少し暗いが、作者が描いたのは人の優しさや温もりでもあると思う


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・父の詫び状(向田邦子/文春文庫)
独特の物の見方、するどい洞察力、やわらかな筆致
日常のなにげないことから思い入れのあることまで、筆者が綴るとその一つ一つがドラマティックな出来事になる
心がほかっとするようなエッセイ集


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・死ぬことと見つけたり(隆慶一郎/新潮文庫)
鍋島武士、かくありき
肥前鍋島武士が貫き通した葉隠精神とはいかなるものであったか?
佐賀人必読の書です


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・暗殺の年輪(藤沢周平/文春文庫)
市井に生きる人々や武家社会の非情な掟の中に生きる人々の悲哀を描いた時代小説集
どうにもならないことはいつの時代もあり、いつの時代も人々を翻弄する


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・サムライと英語(明石康/角川文庫)
江戸末期〜明治初期の日本を造った維新志士たちは、せまりくる英語の波にいかに立ち向かったか
慌てとまどいながらも、国の将来を見すえ英語をものにしてゆく姿からは学ぶべきものがたくさんある
英語に興味のある人も幕末に興味のある人もぜひ


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・喪失の国、日本(M・K・シャルマ/文春文庫)
インド人ビジネスマンが日本での赴任経験を綴った回想録
他国を知ることは容易ではない
同じく海外に住む一人として、他国日本見抜く洞察力・分析力は尊敬に値する
示唆的な内容は、日本人の読者にもなにかしら気付きをもたらしてくれると思う


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・国家の品格(藤原正彦/新潮新書)
日本の優越性をしきりに訴えるあたり排他的で首をかしげたくなるところもあるが、多くのことで共感できる
数学者ならではの論理性(ぶっ飛んでるところもある)と、日本人ならではのファジィさが共存してる感じが好き
今の生活環境の影響もあってか、日本人であることを誇りたいと素直に思えたので◎


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・世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい(森達也/ちくま文庫)
オウム真理教を題材としたドキュメンタリー
視点を逆転することで見えてきた、人間の本質と矛盾
信者たちは本当に残虐な人殺しだったのだろうか?
世間の批判にさらされながらも綴る一言一言に重みを感じる






以上、ぜひ多くの人に触れて欲しいと思った本でした。


ラベル:
posted by たいよう      at 21:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月12日

photo チャリ旅

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posted by たいよう      at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Great Journey

昨晩はいつの間にか眠りに落ちた
ベッドに寝転がったとこまでしか記憶がない

おかげで朝は5時すぎに目が覚めた
東海岸の魅力は水平線からあらわれる朝日だけど、残念ながら雲が多くて拝めず

なんとなく明るくなっていつのまにか朝が来た、という感じ


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チャリ旅後半
北の突端、ヌングイを目指す


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あと55キロ!




蜃気楼を追いかける舗装路
たいして人も車も通らないが、このあたりは意外と道がキレイ

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ヌングイまで行くのか!?だった人々の驚きは、いつのまにか
キジムカジから来たのか!?に変わっている

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だいぶ遠くまで来たなあ




昼。

不思議な虹@キウェングワ

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まん丸な虹
ザンベジ川に架かっていた、あの切れ目のない虹ふたたび

七色までは見分けられないが、ぼうっと光の輪が太陽を囲んでいる
ファインダー越しに映りこむ光の加減ではなく、肉眼でもよく見えた





キウェングワからマテムウェまでの海岸通り
海風を右手に浴びながら進む

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途中、ジュマとチェペシというマテムウェの若者と知り合った

さんざんマテムウェのいいところを自慢したかと思いきや
町とマテムウェ、どっちがいいとこ?
と聞くと、「町!」
ちょい食い気味に答えるジュマ


「なんたって建てモンがいいっぺや!」
そう言い残しジュマはサドルのないチャリできこきこマテムウェに帰ってゆく





海辺の村はサンゴ質で砂っぽい感じの印象
色で言うと、白

ちょっと内陸になると土っぽい印象
色は赤茶

今まで気がつかなかったが、こういうちょっとした変化はおもしろい


一歩町中を出るとアラブ系やインド系の顔立ちをあまり見かけなくなる
鼻がぶちゃっとした、いかにもアフリカンな顔ぶればかりになる

こういう変化もおもしろい





さて、マテムウェからは再び西に針路をとる
東海岸から西海岸に向けて1時間ほど走る



ザンジバルは99%以上がムスリムなのでどの村にもモスクがある
モスクは当然どこでも重要な意味を持っていて、村の中でもたいてい立派な建物であることが多い

中で礼拝をする人々
彼らを見ればマッカの方角(=北)ががわかる

これは便利だ



ペンバ島は世界有数のクローブ(丁子)の産地だが、ここウングジャ北部でも栽培しているそうだ
カンカン照りの道ばたで天日干ししている光景をよく見かけた

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あとちょっと

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1時間後

海が見えた!

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ゴールは近い!

左手に海風を浴びながら、ふたたび心軽やかにペダルを踏みしめる



この2日間でどれだけソーダを渇望し、何本消費しただろう
ソーダこそ気力の供給源だった
地の果てにもコーラとマックはあると聞いていたが、なるほどたしかにコーラはどんな小さな村にもあった
マックはタンザニアにはない




10時にポングウェを出発して、ヌングイ着は15時前
4時間くらい漕いだ

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舗装路だったので、なかなかいいペース



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悪路にも灼熱のアスファルトにも動じずヌングイまで共に走ってくれたチャリ、よく故障せずに持ちこたえたと思う

こいつ意外と頑丈だ




2日かけて辿り着いたヌングイでの滞在時間は10分
ソーダを飲んでちょっと腰掛けたくらい

早く家でゆっくりしたい…






ダラダラで戻る道は短かかった!
たった1時間半で町まで戻って来れるなんて
ちょっとあっけないが、車ってステキ




やっと達成した

今回もいつもと同じことを思う

やってよかった〜!
でも、1度やれば十分かな。












協力隊としての2年間の活動も、例えるなら一つの旅かもしれない


残り4ヶ月の今は、さしずめチャリ旅2日目の後半といったところか
マテムウェから西海岸を目指す、アップダウンの激しかった内陸部のあたり




1日目の後半、思わぬ悪路にぶつかって立ち往生
1年目の後半、タンザニア人が分らなくなって活動が泥沼にはまった

満身創痍でなんとか折り返し

2日目の後半、刺すような日差しに焼かれながら何度も坂道を越える
2年目の後半、日々いろんなことに悩み、数え切れないストレスと闘っている


でも、ここを過ぎればまもなく真っ青な海が見えるはずだ
ペダルを漕ぐ足にも力が入る   




この先どんな道が続くんだろう

上り坂? 下り坂? はたまた悪路ふたたび?
少なくとも快適な舗装路ではないだろう


下り坂なら風に身を任せて下ればいい
上り坂なら自転車を下りてのんびり押して上ればいい
悪路なら慌てず休み休み

なんならダラダラに乗って無理せずゴールを目指すのも一つの方法かもしれない

隊員にはそれぞれの進み方がある
それでいいはずだ




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行く先々に自分の知らないアフリカが待ち受けている
だが、いずれはきっとゴールに辿り着く

歩みを止めずあきらめることさえしなければ、なにもかもPOLEPOLEでOKだ
だってタンザニアだもん



   ぼくらの自由を
   ぼくらの青春を
  
   気持ちのよい汗を
   けして枯れない涙を

   幅広い心を
   くだらないアイデアを

   軽く笑えるユーモアを
   うまくやりぬくかしこさを






今は辛くても、いつかきっとこの経験が活かせる日がくる
2年間のGreat Journey、歯を食いしばってよかった!って思える日



でもきっと、この旅も1度きりで十分だ…




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posted by たいよう      at 22:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ウングジャ縦断記

2日間でザンジバルを縦断できるかな
そんな野望を胸にふらりとチャリ旅に出た




土曜の朝7時
ダラダラで町を出発

ママたちが路地を掃いている
解体されたばかりの牛肉のかたまりがトラックで市場に運ばれてくる
早朝のストーンタウンって妙に新鮮


ウングジャ最南端の村キジムカジまで2時間
(ザンジバルはウングジャとペンバという2つの島からなる。僕が暮らしているのはウングジャ島)



キジムカジには東アフリカ最古のモスクがある
といっても改修工事がなされ最古の貫禄はまるでない

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ピッカピカー!


タンザニア人はこうやって重要な史跡も改修改修改修
もしくはかキルワのように捨て置き
なんとももったいない話だ





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鼻歌のリズムで軽やかに漕ぎ出す
気力十分、ペダルは軽い

相棒はもちろん、婦人用MTB、通称ママチャリ
ダラダラの屋根に乗ってここまでやってきた





今日もタンザニア人はフレンドリー

どの村でも、待て待て!と話しかけてくる
こんなとこをチャリンコで、おまえナニ者だ?と

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別れ際の一言はいつも決まっている
「写真撮ってくれ」





1時間半後 @キトガーニ
地図を広げてみる
もう今日のノルマの半分くらい?
うーむ、まだまだ3分の1だ

サクサク来たようで、けっこう体力を消費した
座るとシリ痛い
立つとふととも笑う

あー横になりたい。





サルの住むジョザニの森を抜け、西に針路をとる

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おっ!
近道発見

これさいわい、ショートカットだ!


5分後。
道はみるみるオフロードになった

観光客など絶対通らないであろうデコボコ道が15キロも続く!

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その間にも小さな集落があって、ところどころに思い出したかのように民家が建っている
ザンジバルにもこういう平原があるんだなぁ

あぜ道のような農道をえっちらおっちら
ゆっくり進む


暑い暑い


時間的に急ぐことはないし、なによりもパンクが心配だ
このMTBはアスファルトでも日常的にパンクする実力の持ち主だ





日本の田舎道でもそうだが、一体どこから来てどこに向かうんだろう、という人を見かけることがある
あれを一度やってみたかった




旅行客の立ち寄らない寒村であればあるほど、人々は驚いた顔をする
どこからともなくやって来たガイジンが、見るからにひ弱なチャリンコでどっかに行こうとしている

にしても、こういう水も電気も商店もないところにも人々は暮らしているのか
そっちの方がよっぽど驚きだ

だってホントに何にもないんだもん


こんなとこをガイジンが…という視線と
こんなとこにも人が住んでる…という視線が交錯する




   何もないな
   誰もいないな
   快適なスピードで

   道はただ永遠つづく
   話しながら
   歌いながら






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日も高く昇り、気温は30度を超えている
目を凝らすと地面がゆらゆら揺らいでいる


崩れたわらぶき屋根
へんてこな木


乾いた風が吹き抜ける
ここは確かにアフリカの大地だ!


マンゴーの木がところどころに生えていて、その下に大きく深い日陰を作っている
それは一瞬のオアシス


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マンゴーがあればひと休み
POLEPOLE進めばいい






海が見えたらソーダを飲もう!と考えていたがなかなか見えてこない


風がちょっとだけ潮っぽくなってきたのは14時ごろ
けど肝心の海はなかなか見えない







ウロアビーチに15時着

ヘトヘトで宿を探すが、どこも満室
いやいや、ここかなりのマイナービーチですよ?

しかたない
ソーダだけ飲んで、10キロ先のポングウェというビーチを目指すことにした







「サンタマリア コーラルパーク」 inポングウェ
23$/日
今日はここに泊まろう


さすがガイドブックをして「特に見どころなし」と言わしめたビーチなだけある

確かになにもない


宿泊客、1人。


安いのにサ…



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でもそのおかげで静かで落ち着く
こういう機会がなければ来ることはないだろうし、ポングウェまで足を伸ばしてみてよかった


海老のココナツカレーとビールでゆったりまったり
なんか、妙に贅沢なことをしてるような気がしてくる
いや、かなり贅沢なひとときに違いない

幸せ。





にしても平和なポングウェ

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波風の音とコンバ(ガラゴというアフリカの原猿)の鳴き声以外なにも聞こえない



AMANI NA UPENDO





今日は6時間くらい漕いだ

たまにこういうクレイジーな白人みたいなことを思いつくクセがある
一度思いつくと、やるまで気がすまない

でもこれはキリ登山と並んで最初からやりたかったことの1つだった


ついにやった
やっている




今日は65キロを走破


だいぶ日にも焼けた
前腕〜手の甲は焦げている


明日はタオル巻き巻きで行こう

posted by たいよう      at 21:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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