2009年10月10日

珈琲タイム

焙煎法を用いた現代のコーヒー文化は15世紀ごろにイエメンあたりの中東で生まれた
イスラムのスーフィー教団が恍惚的没我状態(??)を達成するための修行の中で用いたといわれている
また、夜を徹して行われる礼拝の際にカフェインの効用を利用したともいわれている

それ以来、イスラムとコーヒーとの深いつながりは現在に至るまで続いている

のちにヨーロッパにも紹介され、巨富を生み出す植民地産品としてアラブ、アフリカ、インド、インドネシア、中南米へと栽培の手が広げられていった






道端のテーブルに並ぶ一杯50シルのブラックコーヒー
デミタスをもっと小さくしたようなそのコーヒーの傍らには、必ず砂糖菓子が並べてある



そのテーブルの周りにはいつでもたくさんの人々が憩いを求めてやって来る

モスクの前に腰掛け、アツアツのコーヒーをすすりながら礼拝を済ませた人々の何気ない会話に耳を澄してみる


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政治の話、サッカーの話、飛行機の話、ご飯の話・・・
ときに穏やかに、ときにアツく
かたい話題もそうでない話題も、明らかにどうでもいいような話題も、人々はみな感情豊かに語る
ここでは若者も老人も関係ない


時にはこういう会話に混ぜてもらい、ゆったりとした夕暮れ時を過ごすのも悪くない

どの顔も穏やかな表情をたたえていて、こちらの気持ちまで穏やかにさせてくれる
平和なザンジバル社会を眺めていると、思わず頬が緩んでくる





タンザニアに来てコーヒーにハマる人は多い
僕もその一人だ

苦味の強いアラビアコーヒーと、とびきり甘いカシャータという砂糖菓子
最初の一口で、この組み合わせの虜になった
抹茶と和菓子の関係にも通じるものがあると思う


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わが家のキッチンに並ぶコーヒー


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右上から
モシで買ったキリマンジャロコーヒー
ストーンタウンで買ったキリマンジャロコーヒー
旅行で訪れた隊員のお土産、エチオピアコーヒー(アラビアコーヒー発祥の地)
こちらもお土産ムビンガ産(国内)インスタントコーヒー
国内で最も広く親しまれているafricafe
ヘーゼルナッツのフレーバーコーヒー



コーヒーショップで挽いてもらった新鮮なコーヒーを朝晩2回ゆっくり味わうことが、わが家で一番贅沢なひとときに感じる

これから先、帰国してもコーヒーとは長い付き合いになりそうだ



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ラベル:コーヒー 贅沢
posted by たいよう      at 20:28| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月07日

貧しさのリアル

その子は誰に看取られるでもなく死んでしまった



先日ICUを訪れていたときのこと
10歳前後の女の子がベッドに寝かされていた
呼吸は浅く、半目で焦点の定まらない瞳はぼんやりと宙に向けられていた

だが、胸にあるべき心電図の電極はシーツの上に無造作に置かれ、パルスオキシメータのセンサーもきちんと脈を拾っていない状態
センサーを指につけ直しているうちに、いつのまにかその子の脈が止まってしまった
最初はなにかの間違いだろうと思ったのだが、よく見ると今まで上下動を繰り返していた胸郭も動きを止めている

「脈が止まったぞ」
たまたま隣にいたドクターにそう伝えたが、おもむろに手首に指をあて
「まだちょっと脈あるんじゃないの?」
そう言ったっきり何の処置をしようともしない

状況を察知した他のスタッフが重い腰をあげてベッドサイドにやってきたが、酸素ボンベに繋いでもいないアンビューを口にあて、緊張感のかけらもない形だけの処置をのろのろと施している

「家族を呼ばないのか」
そう尋ねても「あとで呼んだらいいさ」の一言
そのままその子は自力で瞳を閉じることすらせずに死んでしまった



Kama ni mtoto wako utamfanyia hivyohivyo?
「たとえ自分の子でも同じように対応するのか」
それを聞きたかったが、我に返ったときにはいつのまにかドクターはどこかへ姿を消していた

同じ問いを以前いちど口にしたことがある
小児病棟でのことだった
耳から膿を垂れ流す子供の件で耳鼻科医のコンサルテーションを頼んでいたのに、そこにいた看護師は「アタシはちゃんと耳鼻科に連絡したんだから知らないわよ」の一点張りでほったらかしにしていた
そのときつい感情的になって同じ台詞を吐いたのを思い出す




強い黄疸と意識障害
日本でも助からなかった命かもしれない
だが、助からなかったこと自体がショックだったのではない
助けよう、看取ろうとする意思が微塵も感じられなかったことがショックだったのだ

体中の力が抜けるような気がした


この感じはなんだろうか


自分はそんな病院で働いていたのかいうがっかりした気持ち
同じ意思を持って働くべきスタッフとの気持ちの差を思い知らされた口惜しさ


だろうか





ここでは、日本では助かるかもしれない命ですら平気で打ち捨てられる
それはたとえ病院であっても変わらない
名ばかりのICUなんていっそやめてしまえばいい



一人ひっそりと短い命を終えた少女
残酷な言い方だが、その生にいったい何の意味があったのかと思ってしまうほどにあっけない死だった



生まれながらに脳に障害を持った子
道端で物乞いをしている子
原付にはねられ道端で痙攣している子
夜遅くにジュースを売って歩かなければならない子
誰にも看取られずに一人で死を迎える子





不幸を背負った子供の姿と、いつもの見慣れたキラキラした笑顔たち

あまりにも大きなコントラストだが、両者は表裏一体なのかもしれない
紙一重で回る歯車のその危ういバランスの上に人々の生活は成り立っている

それがこの国のリアルだ






金銭的な貧しさだけが貧しさではない

たとえ金があったとしても、必要十分な教育を受けられず、いざというときに適切な医療を受けることもできない

そういう貧しさがある


生まれながらにそんな貧しさを背負って生きている人々の中で生活して初めて、自分がいかに恵まれた環境で生きてきたかを思い知る


同時に、何もすることができない自分の限界と、現状に何の問題意識を持たないタンザニアの限界をも感じた一日だった





ラベル: ICU
posted by たいよう      at 21:35| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月03日

Discovery & Growth



旅をすることの功徳は、ものごとの「現場」でものを考えられることだ
そして、その考えたことがものごとについての自分のこれまでの既成の考え方に
改変を強いることだ 
                          (世界が語りかける/小田実/集英社)




新しいことの発見は、新しい自分へのステップアップするチャンス

それがどんなに小さな発見でも。
ステキな発見も、そうでない発見も。


たくさんの発見に感謝

たくさんの仲間に感謝




Kwa Hide
Tuliongea kuhusu mambo mengi kwa hiyo nimeona kukuche mapema kabisa.
Muda ulienda mbiombio.
Nilikuwa ninasikia marafiki kwa wewe sana na ninataka kuongea nawe zaidi kama upo muda wa kutosha.
Nimekuona tena kweli kwamba wewe ni 'MBELE YA MWANAUME' ←unaelewa^^?
Tutaonana tukaongee katika Z'bar siku nyngine.

Kwa Bw.Mat & O-take
Masasi oye-
TONKATSU,HIYAMUGI,OMUSUBI,CHI○UBI,,
kila kitu kilikuwa kizuri kabisa!
Umeona mti wa UME kwenye juu ya Mt.matobanjaro?
Sasa labda maua mazuri ya UME yanachanua Unchini au!?
Ninataka kutazama manyota mazuri ya Masasi tena pamoja nanyi.

Kwa Lisa3
Niliona mambo ya Kiislamu mjini kwa hiyo moyo wangu umetulia sana.
Lindi ni kama kwangu, ninapapenda!
Ulipofundisha darasani ulionekana mwalimu mkali kidogo lakini,
mojawapo wa mwanafunzi aliniambia na tabasamu kwamba Mw.Lisa ni mzuri!
Ukali wako ndio upendo wako!
Unapendwa sana na wanafunzi kweli.

Kwa Minecham
Salesale, bahari ya MsangaMkuu, ngalawa, GOEMONI, KATSUDONI, karamu ya kwaheri, Hambergeri...
Asante kwa kunisaidia vizuri kuandaa safari yangu!
Ilikuwa safari ya muda mfupi lakini nimepata marifa mazuri na muhimu katika kusini ya Tz, ninaamini hayo yananilea mkubwa sana!

Kwa Michy
Nimefurahi sana kwa sababu niliwaza niwe nawe wakati wa kumbukumbu za mwisho wako wa MTW.
Nishakuwa ninapenda MTW ambapo unapenda!
Uzoee na mambo ya Japani mapema, lakini! Usisahau mambo ya Tz,Znz na Kiswahili.
Ninasubiri habari zako nzuri kabisa za Japani mpaka shingo yangu inyoke kama Twiga unayependa. Kila la heri!





ASANTENI KWA KUMBUKUMBU KUBWA SISAHAU HIZO DAIMA
NASHUKULU KUTOKA KWA MOYO!


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Harambee!(ソーレ!!)
タンザニアの明日に向けジャーンプ!
ラベル:発見 感謝
posted by たいよう      at 20:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

photo 南へゆこう

世界一周の旅をしている。

現在地、スイスはミューレン地方
切り立ったアルプスの岩肌をバックに、真っ赤なケーブルカーが斜面を登って行くところだ




壁に一つのカレンダーが掛かっている

世界の景勝地を毎月一つずつ掲げた、その名も
WORLD TRAVEL CALENDAR
 
ついこのあいだ天空都市マチュピチュを訪れたかと思ったのに、いつのまにかエアーズロック、アンコールワット、サンタマリア大聖堂、モアイ像を経て スイスに辿り着いた

来月は、今もっとも訪れたい場所の一つ、トルコ・カッパドキアが待っている




時間はあっという間に過ぎてゆく
5月のマチュピチュを眺めながら、過ぎた5ヶ月という時間を振り返る


早い。


  明日ありと思ふ心のあだ桜
      夜半に嵐の吹かぬものかは  


親鸞は詠った


 今できることをしよう
 今しかできないことをしよう


そうだ!
旅に出よう
南に足をのばしてみよう
と、ふと思い立つ。


同期隊員の任地を巡るために
有休をきっちり消化するために




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6時間ごとに停電と復電のルクレディでも、ランプがあればへっちゃ 
毎日たくましい南東部隊員 強くなるよねホント

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やっぱり日本の味が一番!
好みど真ん中のトロトロ具合に作ってくれたヒデと、ハウス(S&Bだったけ?)に感謝!

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彼らの生活水は泥の混じった池の水
蛇口から水が出るのって、本当に幸せなことなのだ!

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ルクを見下ろす岩山 通称ビッグサンダーマウンテン
山に吹く乾いた風はどこまでも気持ちいい

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どこまでも続くアフリカの大地をさんさんと照らす太陽
太陽の恵みにも日々感謝。にしても暑かった。

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半分(いやそれ以上?)マクア族のヒデ 
ルクレディの人々を心の底から愛し、腹の底から愛されてます

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幼稚園にもおじゃま
園児にも「オザワオザワ!」と大人気のヒデ

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ヒデの人気に負けじと、いっちょ手品を披露
と。これがトラウマになるかと思うほどのダダスベり!泣

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隣の町マサシでもごちそうでおもてなしを受けました
嗚呼、トンカツ涙☆ うますぎー

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働くオトコ 自動車整備士Bw.マトバ
無邪気な生徒たちとポンコツのクルマが、今日もかれを呼んでいる

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タンザニアの登山の締めくくりは、マサシにあるドラゴンボールに出てきそうな山
通称マトバ山 360°の地平線に地球のデカさを感じる

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’’南東部隊員は炭に火をつけるのが早い’’とのウワサ どれどれ。
マサシの’破裂炭’にもあっという間に着火 確かにめちゃくちゃ早い!

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満天の星空のもと、豪快に炭焼きBBQ
今日もブタいただきまーす^bd^

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激うまブタ肉を前に今日も笑顔の絶えないマサシの夜
停電の町の夜は、笑い声を呑み込み静かに更けてゆく

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あっという間に建物を覆い隠してしまったという不思議な木@リンディ
タンザニアのラピュタとして有名な観光地!     ??

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今日の夕食は巻き寿司!
みんなからのもてなし手作り料理に毎日まいにち舌鼓☆ タムー(うみゃー)!

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今日の授業は確率について
黒板に向けられる真剣な瞳と、

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生徒たちに向けられる優しい瞳。
厳しさの中にチラリと愛をしのばせた、リサさんのステキな授業風景☆

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風を帆に受け進むダウ船
タンザニア人は大自然を味方にどこにだって漕ぎ出せる

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今日も強い陽が降り注ぐムトワラの海でクジラウォッチング中
クジラいね〜なぁ。。の図

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ホレいっちょあがり!
小さなクジラを釣り上げる船頭

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うわ出た!
でかいゾ!!

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クジラ発見!に一気にテンションブチ上がりの皆の衆。
’’スゲーっ!’’

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クジラが近い! 舟よりデカい!
その距離約10m 波間で優雅に潮を吹くクジラの親子、JAMBO〜!

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興奮冷めやらぬみんな
みんな、なんてイイ顔なんでしょ

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大海原に大の字で大ジャンプ!の大澤くん
じゃなかった、小澤くん!!

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碧い海と空や黒色の肌、真っ白な砂と雲、オレンジのTシャツ
今日も色が遊ぶ 明るいインド洋

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サンゴや熱帯魚 水の透明度も高い
やっぱり海が大好きだ

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なんとかとバカは高いところが好き。 一番上にいるのは・・・
あ、おれだ。 木登りなんていつ以来かな

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2年間の活動を終え明日ムトワラを発つみっちーにサプライズでプチ送別会。
驚いてくれて、どうもありがと☆

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ザ・GOEMON き、気持ちイ〜〜
7時間もかけて湯を沸かしててくれた嶺ちゃん 南東部人はほんともてなし魔だね!

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いや、普通に怖いってば・・・

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旅の最終日 朝日が眩しい
どこにいても、どんな時でも、太陽は同じように昇り、同じように沈んでゆく


ラベル: 南東部
posted by たいよう      at 19:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月30日

断食終了

心はずむ断食明け
先々週末でした

タンザニア南東部に同期隊員を訪ねる旅やダルでの健康診断が重なりザンジバルにいない日が続いていたけど、やっとか〜という感じがします

断食明けのお祭りEid il Fitrは今年も盛大で、あたりを埋め尽くすほどの夜店とおめかしをした人々で広場は夜通し賑わいました



30日間に渡って行われたfaradhi(ムスリムの義務)という断食に加え、より善行とみなされるsunnnaという6日間のエクストラの断食(任意)も終了



「sunnna明けのお祝いをうちでやるからよかったら来ないか」

同僚シリムからありがたいお誘いです
いつも何かとお世話になってばかりですが、今回はオーストリアからボランティアで来ているPTのマティーナと遊びに行くことにしました

断食はしてなくても、こういうときにはちゃっかり朝からおじゃま
カンズーとコフィアで気分はばっちりムスリム!

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だったのに、行ってみたらみんな洋服。。
ちょいがっかり






手みやげの箸にみんな初挑戦
全員もちろん悪戦苦闘。



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小さいものも上手につまむ器用なマティーナ





何度やっても取り落とすシリム


手で食べてもスプーンで食べても何でもポロポロ落とすシリムなので、
箸となると、何ひとつ口に運べず笑






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この通り
シリムが座っていた席はいつもひと目で分かる




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食後のシリム
昼だというのに、ナイター見る日本のおじさん方にそっくり





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今回もたらふくご馳走をいただきました



シリム、ハジ、サイディ、ザワディ、アミーナ、アスマ、
アサンテーニサーナ!!



またおじゃましまーーす!!
ラベル:祭り
posted by たいよう      at 21:40| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月06日

ママムティリエの少女たち

↓ウガンダで活動する同期隊員のブログより(だいぶ要約しました)

ある日夕食を食べていると小さな女の子が頭にカゴを載せてトコトコやって来ました
物売りとは知りながら食事を続けていてしばらく経ったころ、ふと見るとまだその子が黙って僕の方を向いて立っているのに気が付きました
思わず「ハッ」としました
気付いてくれるまでひたすらじっと待ち続けていた少女
「これ買って」ときっと言いたかっただろうのにそれが言えなかった少女
その姿を目にした瞬間、「声なき呼びかけ」という大切なことに初めて気が付きました。



この話を読んで真っ先に思い出したのがママムティリエの少女たち





@ママムティリエ(直訳は、ママよそってあげて!)
日が暮れ断食が明けたあと、大勢の現地人でにぎわうローカルな屋台食堂です

少女たちはここでジュースを売っています
十にも満たないくらいなのか、みな幼い顔ばかりです

洗いざらしのペットボトルに入れたわずか7円ほどの手作りジュース
カゴいっぱいで重たいのでしょう
どれだけの利益になるかも分らないジュースを、大人たちの合間を縫うようにフラつきながら売り歩きます



「ジュイシ ミア(ジュース100シル)・・・」
そう叫びながら歩き回る子供たちのけなげな姿を見ていると、喉が渇いていなくてもつい声を掛けるようになりました

何度も繰り返して使っているため、傷みの激しいペットボトル
その小さなボトルを受け取るとき、必ず名前を聞くようにしています



今まで当たり前のように見すごしていたこと
ブログを読んではっとしたこと



ただ「子供がジュースを売っている」のではないんです

「貧しい家庭に生まれたヌヌが、ユスラが、ファトゥマが、家族の暮らしのために重たいカゴを下げ、一本わずか7円のジュースを夜遅くまで大人に売って歩いている」のです


これが自分だったら、という想像は容易ではありません
でも、もしこれが自分の弟だったら、自分の娘だったら、と想像すると思わずぐっときます





貧しいとはいえその日の食料に困るような生活とは無縁のザンジバル
ここではブラウン管でよく見るような貧困アフリカに触れることはまずありません

そんななか小さな子供が夜遅くに物を売り歩かなければならない状態を目にすると、アフリカが持つ貧しさというものをふと思い出します

自分にできることは何だろうとか考えてみてもたいした答えは見つからないけど、貧しさゆえに家庭での団欒のひとときも勉強のひとときも持てない子供たちがいるのという事実をこの目で見て実感できたこと


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その経験が自分の中の何かを変えてくれそうな、変えられそうな気がするのでした



posted by たいよう      at 15:09| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

モスコレ09'

モスクの造り
ただ礼拝するための場なので、教会や寺院と違って装飾も少なく殺風景なのが特徴
祈りの前に手足を清める洗い場が入り口に設けてあり大広間のようなところに絨毯が敷いてある他は、マッカの方角を示すミフラーブという窪みが壁にあるだけというシンプルな造り
イスラムには聖職者にあたる信徒がいるわけではないので常駐者はいない
祈りの時間になると人々が集まり、終われば解散する
そのため礼拝の時間以外に人気はない


ミナレット(尖塔)について
もともとは祈りの時間を知らせるアザーンのために使われていた
かつては肉声で行われていたアザーンも、今ではスピーカーを使うところが増えたという
細長く屹立する塔は、神は唯一なり、という数字の1を象徴しているらしい


ドームについて
丸い天井は礼拝を率いる導師の声をうまく反響させる働きをしているという





数あるモスクのうち、変わりダネをいくつか紹介します


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病院の中のモスク
スタッフ、外来患者、お見舞いの人など
さまざまな人が利用する


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in大統領オフィス
大統領も含めた政府関係者もムスリムなので、ここにもちゃんとあるんです


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貯水池に佇む水上モスク
水面に輝く夕方とアザーンの組み合わせがなんだか幻想的


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丸みを帯びた独特のミナレットが特徴のこちらは
17世紀に建てられたストーンタウン最古のモスク


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@キルワ(タンザニア南東部、金や奴隷の貿易で栄えた古都 世界遺産)
左)15世紀に作られたモスク跡 天井が崩落するなど朽ち果ててしまっている
右)11〜15世紀にかけて徐々に拡張された大モスク
  当時の王もここで祈った


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珍しい女性専用のモスク@ストーンタウン
普通女性はモスクには行かず家などで祈るが、ここだけは女性が集まる


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ダル港に設けられたゴザだけの礼拝スペース
モスクではないが、フェリー待ち時間に礼拝の時間を迎えるとここで祈ることができる







モスクはアラビア語では「マスジド」といい、原意は「額ずきの場所」
確かにザンジバルでもおでこに祈りダコ(?)のあるムスリムを多く目にする


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でこの黒ずみこそ、敬虔なムスリムの証?


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このツルンとした綺麗なおでこにもいつか黒いタコが・・・







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posted by たいよう      at 14:44| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

What's the fasting?


断食とはどういうものか
少しずつだがようやく分るようになってきた


断食を行う理由・目的はさまざまあると思うが
@身を清めるため
A富める者も貧しき者も同じように空腹感を感じることで飢えの意味を知り、困窮者の辛さを理解するため
この2つはよく耳にする

なんらかの理由でラマダン月に断食ができない場合はその日数分だけほかの時期に改めて行うことができるし、それでもできない場合は貧困者への喜捨という形で代償することもできる
病人は断食を義務とされないし、旅行の道中も断食から開放される(移動に体力が必要だった昔のなごり?)という

断食というと「とにかく飲み食い禁止を強制するイスラムのストイックさの象徴」という印象を持っていたが、ただやみくもに身体的な苦痛を強いるわけではないようだ





イスラム五行(信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼)はすべて神への信仰を表す

断食も神に対する信仰行為であるが、それと同時に神という絶対の垂直軸に対応する水平性の意識を強める意味があるという
すべての者が神の前では同じ一人の人間でしかあり得ないという、同胞間(人間間)の平等性の絆を強めるはたらきである

上に挙げたAはまさに水平性・平等性の意識を強めるはたらきだといえる


同胞意識が強いイスラムの性格もこういった宗教的背景から生まれたようだ
イスラムによるテロは、極端な形で表れた同胞意識とも考えられるかもしれない
同胞意識をそこまで強く持たない日本人には、この感覚は分りにくい







イスラムのコミュニティーも、この同胞性・平等性を基調として成り立つ




家族や友達とのつながりを大切にすること
やたら「兄弟」の範囲が広い家族構成
とにかくフレンドリー
挨拶を重要視する社会
上下関係に必要以上に重きをおかない風潮

ザンジバルのコミュニティーも例外ではなく、確かに横のつながりをとても大切にしている印象を受ける


「アダムから生まれた人類は、みな兄弟なんだ」
そう語ったムスリムの一言にも納得がゆく









おとといの満月でザンジバルの断食もようやく半分を迎えた
あの月が新月になり断食が明ける日まで、あと半月



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あとはアザーンが鳴ればこの日の断食は終わり




ちなみに今年は断食はしていない
食いしん坊にとって空腹はけっこう辛いので

健康診断前だから健康管理がイチバン、と自分には言い聞かせ、こっそり倉庫でピーナツをつまんだりドアの鍵を閉めて水を飲んだりしている

だから誰に隠れるでもなく家で堂々とご飯が食べれる休日はいつも以上に待ち遠しい


posted by たいよう      at 14:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月24日

ドアコレ09'

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スワヒリ建造物の特徴の一つでもあるザンジバルドア

ストーンタウンの中だけでも数百、島全体だと程度の差はあれ数千という数にのぼります
それくらいよく目にするありふれた装飾扉ですが、デザインの細かさや彫りの丁寧さには思わず目をみはります

ついつい見逃してしまいがちですが、100あれば100の模様があり、見るものを飽きさせない魅力あり
しかも、ただの飾りではなく実際に今でも作られ&使われてるからすごいんです


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真っ白なカンズーや真っ黒なブイブイ(女性が身につけるイスラム服)とよく合っていて、歴史ある古都ザンジバルの不思議な雰囲気を作り出す大きな魅力の一つです



大好きなザンジバル
いつまでもこの雰囲気を持ち続けていて欲しいです。




↓お気に入りのザンジバルドア



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posted by たいよう      at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

天国に往くということ。

断食の月はムスリムにとって特別な意味をもつそうだ
人々は日常のあらゆる場面でmwezi mtukufu(聖なる月)という言葉を口にし、神聖な瞬間を確認しあう


ということで、これを機会に今月は日本ではほとんど馴染みのないイスラームに関することをいくつか紹介したい




<六信五行>
ムスリムには、課せられた義務行為が5つと信仰対象が6つある
これらは、「アッラーのほかに神なし」「ムハンマドは神の使徒なり」という2つの最も根本的な原理(=信仰告白)に続く基本的な教義とされ、六信五行と称される
義務と信仰対象はそれぞれ
・信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼
・神、天使、啓典、使徒、来世、定命



中でも来世に対するイスラムの教えについて、実際にムスリムから聞いた話を今回まとめたいと思う
実際の教義とは異なる点があるかもしれないが、一個人としてのザンジバルのムスリムがどう来世を捉えているかという死生観を知る上での一つヒントになると思う




<天国と地獄>
イスラムにも死後の世界がある
この世はいつか終末を迎え、そのとき全ての死者は復活し、神による審判を受ける
神の審判によって生まれ変わった死者は、生前の賞罰として天国か地獄に送られる

天国peponiは永遠の幸福を手にすることができる場所
生まれ変わりの姿はそれまでの自分自身に変わりないが、そこでは永遠の若さ(男性は21歳、女性は19歳)を保つことができ生前の配偶者とも再会することができる
仕事はもちろん、礼拝や断食、喜捨などの義務も存在しない
我慢を強いることは何一つない
自由に酒を飲むことができ、酔っ払っても咎められることはない
ただし、豚はやっぱりいないという

反対に、地獄motoniは火獄とも呼ばれ、悪魔shetaniに永遠に身を焼かれ続ける場所とされている




<sawabuとzambi>
神の審判にあたり秤にかけられるのが、生前の善行sawabuと悪行zambi
これは生前の全ての行いを見届けた天使が記した記録を元に行われる
sawabuが多い者は天国に送られるし、zambiが多い者は地獄に送られることになる

ではムスリムにとってのsawabuとは具体的にどのようなものか

早い話、それは六信五行の務めを忠実に果たすことに他ならない
イスラームでは生まれてから死ぬまでの日常生活を全て網羅する細かいことわりが啓典(クルアーン)で規定されているので、六信のひとつ啓典を信仰することはそのままイスラームに則った日常生活を送ることを意味する

中でも六信五行は最も大きなsawabuとされ、礼拝を欠かさず行うこと、断食を全うすることなどは重きを置かれるが、そのほかにも神の思し召しに全て従うことからしっかり子育てをすること、挨拶をちゃんとすること、医者が患者の診療を行うことまで、全てがsawabuとなる

法に関わるような大事から日常のささいな出来事まで、ありとあらゆることがsawabuになりえるといえる

これらのことは啓典にも明示されている

礼拝の務めを守り、定めの喜捨をせよ。汝らの魂のために行った善行(の報酬)を、汝らは神の御許で見出すであろう。                             (「雌牛章」第110節)


逆にsawabuに反する行いはzambiと見なされる
ちなみに来世に持ってゆけるのはsawabuとzambiのみで財産などは現世に残さなければならないそうだ



天国にしても地獄にしても、そこでの生命は永遠のもので、再び死ぬということはない
言いかえれば、一度天国に行ければ生涯を幸福に過ごせるし、そうでなければ苦痛を味わい続けることになる
この世には幸せは存在せず、真の幸せは天国にこそある
そのため、生前は教義の定めるsawabuに忠実であり続けるのだ


ここで興味深いのは、六信の一つ「定命」との関係だと思う
定命は定められた運命をさす
これは唯一・絶対・全能の神が世界の全てを決定するという認識を確かにするものだが、「最終的には全てを神が決める」ということを信じてこそ初めて「己が来世で幸福になることを願う」というのは矛盾をはらんでいるような気もする
ひらたく言えば、「人間というちっぽけな存在が来世を信じようが信じまいが最終的には神が全てを決めてしまう」ということを信じなければ来世で幸福になることは出来ない、ということである




来世を信じるムスリムは、火葬によって肉体が消滅すると復活できなくなることを恐れ葬儀を土葬で行う
埋葬時には、右わき腹を下にして顔をマッカ(イスラムの聖地の一つ)の方に向けて埋めるそうだ









この話を語ってくれたMzee Abdhramanアブドラおじいさん


歩くことができなかった以前の身体にむち打ち、今では階段も見守りで上り下りが出来るようになった
きついリハビリを続ける強い意思の奥底には、単に歩けるようになりたいという思いとともに、今の生を精一杯生きることでsawabuを全うしようとする強い意思があるのかもしれなかった


「礼拝も断食も喜捨もないし、酒も自由に飲める」ことを「我慢を強いることはなにもない」と表現した彼は、イスラームという教義に一見縛られたようにも見える今の生活をどう思っているのだろうか


嬉しそうに語る様子を見る限り、天国での永遠の幸福を待ち焦がれているようでもあった




顔いっぱいに刻まれたしわをさらにくしゃくしゃにして楽しそうに天国の様子を語る表情を見て、思わず考えた



来世での幸福な生涯を信じること。



ムスリムにとって、それはただ単にsawabuとしての意味以上に、現世を楽しくまっすぐ前向きに生きてゆくことへの大きなエネルギーにつながっているのかもしれない




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ラベル:聖なる月 sawabu
posted by たいよう      at 21:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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